現場で論じる教育実習

 

橋本雅文

(京都教育大学附属高等学校)

 

A New Perspective on Practice Teaching

 

Masafumi HASHIMOTO

 

抄録:教育大学の附属学校としてはあたりまえのことだが,本校には毎年多数の教育実習生がやってくる。以前には,地域や校種を問わず,教員が大量に採用され,実習生の多数が教職を志望する時代があった。ところが近年は,少子化の影響で教員への道が険しくなり,それに伴って教職以外の道を目指す者や,将来の進路は未定だが,とりあえず修士課程に進学しようと考える者も珍しくない時代になった。時代は確実にその様相を変えている。時代に即した教育実習のあり方が論じられてしかりである。本稿では,あくまでも現場に視点をおきながら,固定観念にとらわれない発想で,教育実習の新しい姿を探ってみる。

 

キーワード:教育実習,ティーム・ティーチング,点と線,授業参観,指導教官

 

 

1.教職に就けない時代

 今から四半世紀ほど昔に「でも・しか教師」という言葉があった。「特に何をしたいというわけでもないが,一応大学も出たことだし,教師に‘でも’なろうか」あるいは「特に秀でた専門的な能力があるわけでもないので,まあ教師くらいに‘しか’なれないな」と考えて教員になった者を揶揄した表現である。当時は高校への進学率が増加の一途をたどり,それに呼応して全国各地で新設高校が競うように建てられた。新設校ラッシュの時代である。新設校は教員の需要を生み,新任教員が大量に採用された。

 私もそんな時代に教員になった。大学を卒業して最初に赴任した大阪府立の高校は校舎も真新しい新設3年目の学校で,1学年には12のクラスがあった。新設3年目の12クラス増に対して新たに25名の教員が配属されたが,そのうち9名が大学を出たばかりの「新卒」であった。私の属する英語科には専任だけでも11名の教員がいたが,その年に赴任してきた4名のうち私を含めた3名が新任であった。そんな時代であった。その府立高校に1年だけ在籍した後,縁あって現在の附属高校に転勤することになった。

 附属にきた当初には,教育実習生のほぼ全員が教職を志望して,教員採用試験に臨み,その大半が採用された。実習生が大学を卒業する時には,どの学校に赴任することになったかを晴れやかな笑顔で報告に来てくれたものだ。私たち指導教官は,同じ道を歩みだす後輩の誕生を喜ぶとともに,教育実習の成果を充実感の中で確認した。しかし,今ではそれは遠い昔の話になった。ちなみに,京都府教育委員会のホームページで来年度(2004年度)の教員採用について調べてみると,府立高校の採用予定者数は「20人程度」とあった。もちろん,この20という数字は高校の全教科における総数である。なお,同ホームページは,その20人の枠に対して370人の志願者があったことを伝えている。

 今では「でも・しか教師」という言葉は死語になった。もはや新設される学校はなく,それどころか,学校の統廃合があちらこちらで噂される時代になった。教員の需要も激減し,教員の採用は退職教員の補充に頼る事態になった。教員になりたくてもなれない時代の到来である。そんな時代の教育実習生に以前と同じ意気ごみを期待しても,それは酷なことなのかもしれない。

 しかし,教員採用の枠は狭まっても,完全に閉ざされたわけではない。教職志望者は減っても,皆無になったわけではない。教職への道に蓋をするわけにはいかない。時代の動向を見極めて,それに応じた教育実習のあり方を創造していかなければならない。

 

 

2.固定観念からの脱却

 

2.1.教官と実習生とのティーム・ティーチング

 

 教員A:先生,お疲れのようですね。

 教員B:いや,実習生の授業がヒドクてね。あれでは,生徒も,実習生も,そしてこちらも,50     分はとてももたないですね。

 教員A:そうですね。最近,そんな学生が増えてきましたね。

 教員B:何かよい手はないですかね。

 

 「授業は1人で担当するもの」そんな固定観念があるようだ。

 今日,英語の授業では,英語のネイティブ・スピーカーと日本人教師によるティーム・ティーチング(以下,TT)は極めて普通に見られる光景である。また,小学校等においても,たとえばスローラーナー対策として,特定の教科においては1つのクラスを2人の教員が担当するというようなことも決して珍しいことではない。 

  このように,自分が専門とする教科を教えることを生業とするプロの教師でも,必要に応じてTTを行なっている。それなのに,どうして初めて教壇に立つ素人の学生が,1校時50分の授業のはじめから終わりまでをまったく1人で担当するのがあたりまえのことのようになっているのだろうか。

 教育実習に関しては,附属学校は自動車教習所に似ているところがある。前者は教員免許を,後者は運転免許をそれぞれ取得するための教習所である。自動車教習所では,最初は指導員が助手席に座って,教習生と一緒に車を走らせる。そして,発進のしかたから,ハンドルのきり方や,坂道発進,車庫入れ,縦列駐車まで,段階を追ってひとつずつ練習していく。教習生がはじめから1人で路上に出て運転するなどということは考えられない。

 教育実習生も指導教官とのTTから始めればよい。英語の授業を例にとる。コミュニケ−ション活動の原点として2人で行なう対話練習があるが,そこでは,生徒たちにペアで対話の練習をさせる前に,教官と実習生とが2人で対話のモデルを示すのがよい。しっかり練習を積んでうまくできれば,実習生も自信がつくし,教室にも活気がでてくる。

 もちろんTTは対話に限定されるものではない。さまざまな分担が考えられる。次にいくつかの例をあげる。

 

    () 教官と実習生とのTT

         a.教 官:英文読解指導

           実習生:その英文についての設問の答え合わせと解説

         b.教 官:文法事項Aの解説と演習

           実習生:文法事項Bの解説と演習

         c.実習生:LessonPart1を担当

             教 官:LessonPart2を担当

 

 TTに定型はない。それぞれが授業する時間も50分を正確に二分する必要はない。最初は教官が多い目に分担し,徐々に実習生の分担を増やしていけばよい。要するに,型にとらわれないことである。

 

2.2.実習生どうしのTT

  1人の指導教官に1人の実習生がつく場合には上記のようなTTができるのだが,ここでは1人の教官が2人の実習生を指導する場合について考えてみる。

 2人の実習生がともに,たとえば「英語T」という科目を担当することになったとする。すると,教官は実習生XさんとY君を(2)のように割り当てるのが普通である。

 

    () 従来型の割り当て

         実習生X:1組でLesson1のPart1とPart

         実習生Y:2組でLesson1のPart1とPart

 

ところが,これも固定観念にほかならない。

 XさんとY君とがTTで授業をするという柔軟な発想があれば,

 

    () 実習生どうしのTT

         実習生X:1組と2組でLesson1のPart

         実習生Y:1組と2組でLesson1のPart

 

という形態が考えられる。つまりA,B2人の実習生がTTで1組の授業を分担し,今度は2組でもう一度同じ箇所を授業するのである。

 同じ箇所の授業をやり直すことの利点は予想以上に大きい。授業を終えた実習生は,毎回指導教官と授業の反省会を開くのだが,(2)のような割り当てでは,反省会で指摘されたことを次の授業でやり直すことはできない。次の時間には,その先の箇所の授業をしなければならないからである。これでは,せっかくの反省会もその効果が半減してしまうことになりかねない。

  ところが,(3)の方法をとると,反省会での指摘をそのまま次の授業で活かすことが可能になる。後者のやり方のほうが「エネルギー効率がはるかに高い」ことになるわけである。

  () 授業は2度目のほうがうまくいく

このことは,教員ならだれもが日常的に体験していることである。

  () 1度目の授業が「点」の授業なら,2度目は「線」にたとえることができる

だろう。2度目の授業では,今やっていることに加えて「先」を見通すことができて,その分,授業にゆとりと安定感が生まれる。プロの教員ですらそうであるなら,実習生に同じ箇所を繰り返して授業する機会を与えないのは,過酷なことのようにすら思える。

  () 同じ箇所を授業して自分の進歩を確認した実習生は大きな自信を手に入れる 

 なお,TTは実習の全期間を通して行なう必要はない。最後までTTを続けてもよいし,途中から単独の授業に切り替えてもよい。固定したルールはない。TTは変幻自在に活用できる。

 

2.3.教室の前からの授業参観

 

 教員B:今日の授業でね,実習生があまりに初歩的な間違いを繰り返すものですから,やり     たくはなかったのですが,我慢できずに,授業を中断してしまいましたよ。

 教員A:時々どうしても見過ごせないミスというのがありますね。

 教員B:でも,私が口をはさんでからは,実習生のノリがすっかり悪くなってしまいまして     ね。

 教員A:それもしかたのないことですけどね。

 

 教育実習のオリエンテーションの期間や実習の当初には,指導教官が授業を行い,実習生はそれを参観する。続いて実習生が授業を受け持ち,指導教官が参観する。これが通例の手順である(ただし,上で述べたようにTTを活用すれば,実習のオリエンテーションの期間ですら,実習生に授業のごく一部だけでも体験させることができる)。だれが参観するにせよ,教育実習に参観は欠かせない。

 さて,その参観の場所については「授業は教室の後ろから参観する」という暗黙の合意が存在しているかのようである。普通教室で行なわれる参観の様子をみてみると,教科を問わず,そして実習生か教官かを問わず,参観は必ず教室の後ろから行なわれている。なぜ後ろからでなければならないのだろうか。参観者が授業の邪魔にならないようにという配慮がその理由であろうと思われるが,特にさしたる理由もなく,ただ昔からそうしているから,というのが事の真相なのかもしれない。

 「授業は後ろから参観する」という考え方は「授業は1人で担当する」という発想と密接に関係している。英語の授業で日本人教師と英語指導助手(ALT)とがTTを行なう場合には,両者が教室の前に立っていても何の違和感もない。

  () TTを採用すれば,参観者の位置取りは自由になる

 そもそも,後ろから授業を参観する限り授業の邪魔にはならないという考え方自体にも疑問がわく。指導教官が後ろにいれば,その姿は生徒たちの視野には入らないが,教壇に立つ実習生の目には入ってくる。それは場合によっては授業の大きな妨げになる。指導教官の表情が実習生の視野に入ると,その表情の変化が教壇にいる実習生の心拍数を左右することになりかねないからである。実習生が注意を払わなければならない対象は,教官の顔色ではなく生徒たちでなければならない。

 TTであっても,そうでなくても,自分が実習生の視野からその姿を消すためにも,指導教官はとにかく一度前から参観してみることである。最初はたとえ少しの違和感があっても,教師も生徒もすぐに慣れる。

 前からの参観には,そのほかにも利点がある。それは

  () 実習生は授業中にまず必ず間違いをする

ということと関連する。実習生が犯す間違いには,次の時間に訂正すればよいものもあれば,その時にその場で訂正したほうがよいものもある。ところが,後ろから参観していると,その訂正がたいへんにしづらくなる。参観者が後ろから声を出すと,教室の雰囲気が非常に気まずいものになってしまうことが多いからである。授業をしている実習生はもちろんのこと,生徒たちも,そして声をあげた教師も含めて,みんなが不快な思いをすることになる。ところが,前にいればそれがしやすい。たとえ実際に授業は分担していなくても,ただ前に座っているだけで,教室にはTTの雰囲気が自然に漂っているからである。

 「授業は前から参観しなければならない」というのが私の主張ではない。

    () 授業の参観は後ろからに限らない

がここでの論旨である。

 

2.4.実習生の担当時間

 

 教員A:先生のところの実習生はどうですか。

 教員B:そうですね。Xさんはいろいろと工夫をして頑張っているんですが,Y君は力が弱     いですね。正直言って,あれでは生徒たちがかわいそうですね。

 教員A:でも,力の差ばっかりは,どうしようもないですね。

 教員B:何かよい方法はありませんかね。

 

  (10) 実習生には力の差がある

これは,どうしようもない事実である。ここで「力」というのは,必ずしも大学での学業成績を意味するものではない。「力」とは,英語を例に言うと,英語の読解力,文法力,表現力などに運用能力を加えた総合的な力を指す。実習の指導教官は,授業の進め方については,細部にいたるまでそのノウハウを伝授できるが,授業の前提条件となる英語力そのものについては,限られた実習期間中には手の施しようがない。間違いを指摘しながら,英語力をもっと磨く必要があることを諭すのが精一杯のところである。

 教育実習の時間割は,その場の思いつきで決定されるものではなく,事前に実習生間に過不足が生じないように準備される。それは当然のことである。しかし,それでは,実習生の力の差や授業に対する意欲などをそれぞれの担当時間に反映させることができない。

 ここで再びその効力を発するのが,上で紹介したTTである。教官とのTTの場合(2.1.)は,実習生が力や意欲の点で物足りないと判断すれば,教官が多い目に授業を担当することによって,実習生に教官自身の授業を範として十分に示すことが可能になり,また実習生への過重な負担も避けることができる。

 さらに,実習生どうしのTTの場合(2.2.)には,(3)の方法を採用することによって,XとYとがそれぞれ担当する部分の質と量を容易に加減することが可能になる。なお,2人の実習生の分担量は,実習の全期間を通して固定したものではない。それぞれの努力や進歩に応じて常に加減していけばよいのである。ところが(2)のような融通のきかないやり方では,力の優劣や志の高低に関係なく,すべての実習生が同じだけの荷を背負うことになってしまう。

 実習生の分担に差をつけるやり方には,平等を欠くという批判も予想されるが,これは決して適性を欠く実習生の排除を意図したものではない。技量に合った仕事を配分することによって,持てる力が過不足なく発揮できるようにしようとする一方策にほかならない。

 かりに平等を問題にするならば,視点を生徒側に移して,生徒たちが等しく授業を受ける権利についてはどうであろうか。実習生の担当時間の均一化のみに意を注ぐと,往々にして生徒たちが受ける授業の平等性にひずみが生じることになる。  

 また,力不足の実習生の分担を減らすというやり方は実習生を甘やかすことになる,という批判もあることだろう。しかし,たとえどんな授業を行なっても,同じ時間を担当させるということこそ,一面では‘甘やかし’につながるのではないだろうか。

 

 

3.教科の独自性

 

 教員A:教育実習にTTを取り入れてみたのですが,いろんな長所があることがわかって,     なかなか有効なやり方だと思いますね。

 教員B:そうですか。でも先生のところの英語科ではうまくいっても,うちの教科ではどう     でしょうかね。

 

 2.で述べたTTの活用法は,あくまでも高校の英語教員である私自身の実践に基づく発想であるから,そのままでは他の教科に応用できないところもあるかもしれない。しかし,TTは決して英語科に限定されたものではない。次に,英語科以外の教科でのTTの実践方法を考えてみる。

  たとえば講義を中心とする文系の教科では,(11)のように解説する項目によってTTを分担するやり方が考えられる。

 

    (11)  講義中心の教科におけるTT

         a.教 官:項目αの解説

           実習生:項目βの解説

         b.実習生X:1組と2組で項目αの解説

           実習生Y:1組と2組で項目βの解説

 

あるいは,講義全般は実習生Xが担当し,参考資料についてはYが解説する,などという分担のしかたも考えられる。

 また,数学などで問題演習を行なう場合には,(12)のような分担が考えられる。

 

    (12) 問題演習におけるTT

         a.実習生X:定理の解説

           実習生Y:問題演習

         b.実習生X:問題演習1

           実習生Y:問題演習2

 

 そして,理科や体育,芸術のような実験や実技を伴う教科においては,1人の実習生が中心となって授業の進行を担当し,他の実習生が助手として,実験・実技の手助けを行なうことも

考えられる。また,理科の実験や体育の実技において日常的に行なわれるグループ単位での活動においては,どの実習生がどのグループを担当するかを割り当てることもできる。

 このように

  (13) TTは,項目別にも,生徒の活動グループ別にも分担することができる

これは,表現を変えると,

  (14) TTは,時間的にも,空間的にも分担できる

ということになる。前者では,ある時間帯には1人の実習生がクラス全体を担当するが,後者においては,複数の実習生が同時に授業を分担していくのである。 

 以上のように,TTは工夫次第でどの教科においても利用できる。

 

 教員B:TTは確かにおもしろそうですが,そこまでのことをしてTTをやる必要があるの     でしょうかね。

 教員A:「そこまでのこと」と言われますけど,要は授業の分担を決めるだけのことですか     ら,面倒なことは何もありませんよ。

 

 よいことだとわかっていても,それが多大な時間や労力を要することなら,あるいは一度歩み出したら後戻りができないことなら,二の足を踏む気持ちも理解できる。しかし,TTには周到な計画も準備も要らないし,いったんTTを行なえば二度と単独で授業することはできない,というものでもない。

  (15) TTは実習生の独り立ちを妨げるものではなく,独り立ちを支援するものである

とにかくやってみることである。 

 

 

4.教育実習受け入れ校

 

 母親:塾の先生がね,うちの子を附属に行かせたら,とおっしゃるの。

 父親:附属を志望する子は多いみたいだけど,あそこには毎年教育実習生がたくさんくるん    じゃないの。

 母親:学生さんが先生じゃ,心配ね。

 

 本校には,大学4回生が6月に2週間,そして9月には3週間,3回生が教育実習にやってくるが,その数を合わせると年間150名ほどになる。附属学校以外の公立・私立の学校でもそれぞれの学校の卒業生を対象とした教育実習が行なわれているだろうが,その数は附属学校とは比べものにならないはずである。そして実習期間中には,教員免許をもたない実習生が教壇で言わば「無免許運転」をすることになるわけだから,保護者が学力保障について懸念を抱くのも無理はない。しかし,そんな教育実習にも無視できない長所がある。

 その最大の長所は

  (16) 教育実習によって指導教官の授業が磨かれる

ことにある。

 日々の授業はもちろん手を抜かずにやっているのだが,それでも4月の新学期から日がたつにつれて,教室の雰囲気は緊張感を減じていく。これは自然な成り行きで,必ずしも悪いことではないのだが,好ましいこととも言えまい。そんな教室に適度の緊張感を取り戻してくれるのが,授業参観者の出現である。

 教職経験のある者ならだれもが実感することだが,教室にたとえ1人でも参観者がいれば,教壇に立つ者は形容しがたい緊張感をもつことになる。その最たるものが他校の先生方に公開して行なわれる「研究授業」である。せっかくお越しいただく先生方に観る価値のない授業を披露するわけにはいかない。研究授業は周到に計画され,準備されるが,その1回の授業のみを「よそ行き」のものにしても,それでは生徒たちはついてこないから,年度当初からその日に照準を定めた練った授業を展開していくことになる。その過程を通して授業は確実に改善されていく。

 研究授業の場合ほどではないにしても,参観者が実習生の場合でも,教員はやはり張り切る。実習生を指導していく立場にある者がいい加減な授業を見せるわけにはいかないからである。実習生のモデルになる授業をしようと普段よりも少し意気ごむ。この意気ごみが日頃の自分の授業を見直し,その改善を図るいい機会になる。

 教育実習では,不慣れな授業を行なう実習生にかなりのプレッシャーがかかるのは当然であるが,好奇心旺盛な実習生に自分の授業を見せたり,実習生とTTを行なう指導教官にも,やはりそれなりのプレッシャーはある。プロにはプロの意地があり,素人との違いを実習生や生徒たちに示さなければならないからである。実習生と張り合うなどということこそプロの教師として情けないことだという見方もあるだろうが,私はそのような意地もよしと思っている。それが授業の向上につながるものである限り,それをつまらぬ意地だと一蹴すべきではない。

  (17) 研究授業と教育実習,その両者が授業の質を支えている

 教育実習は何かにつけその弊害ばかりが強調されるが,それは事実の一面にしかすぎない。

 

 

5.おわりに

 少子化時代を反映して教員の需要が大きく変化してきた。教員の採用状況は全国の教育大学に影響を与えないはずはなく,そこに学ぶ学生の意識に変容を与えないはずはない。教育実習にやってくる学生が以前のままの学生ではないのに,指導教官が昔のままのやり方を踏襲しているだけでは,そこに問題が生じるのも必然的なことである。

 本稿では,問題の解決策のひとつとして教育実習にTTを取り入れることをその理由と効果を添えて提案するとともに,実習が受け入れ校にもたらす恩恵にも言及した。提案にあたっては,明日からの実習指導にすぐにでも役立つことを願って,観念的な抽象論に陥ることなく,できるだけ具体的に論じることを心がけた。提案内容の性格上,その効果は数値での表示にはなじまないが,本稿で紹介したTTについてのノウハウはすべて,私の試行錯誤の実践に基づいたものである。決して思いつきの空論ではなく,限られた教官だけにできる達人技でもない。

 大学生の教職体験については,今新たな取り組みが各地で展開されている。大学,教育委員会,幼稚園,小・中学校,高校の連携のもとに,大学生が現場で教員の仕事を研修する「学校インターンシップ」もその一例である。これは教育実習とは違って,今のところは教員免許につながるものではなく,あくまでも学生のボランティアを主体としたものである。新聞(『読売』200398日,『朝日』同17日)が伝えるところによると,学生による授業補助や学習支援,それに放課後の遊びや部活動の体験は,受け入れ学校側と参加する学生側の双方に好評のようである。「若い教師が不足している学校で,学生は教師と生徒をつなぐお兄さん・お姉さん役を果たし(『読売』)」ているとのことである。

 

 教員A:大阪府が来年度の教員採用に,現職教員からの採用枠を設けたら,まわりの県がそ     れに対して猛反発しているということらしいですね。

 教員B:いい先生が欲しいところと,いい先生を引き抜かれたら困るところとの争いですね。     何かプロ野球のFA問題みたいですね。

 教員A:要するに,いい先生が足りないということですかね。

 教員B:まあ,そういうことなんでしょうね。 

 

 教員の養成や採用については,上記のような新しい試みに加えて,教育実習期間の延長などを含めた改変の動きもあると聞く。時代のニーズに応える諸改革が検討されている。ところが,教育実習の中身そのものについては,現場の教官に一任というのが実態である。

 「枠組み」は変化を始めた。「中身」が論じられないまま残されている。

 

 教員B:先生のお勧めにしたがって,私も2人の実習生にTTをさせてみましたよ。

  教員A:で,成果はどうでしたか。

 教員B:2人がお互いにライバル意識をもって,なかなかおもしろかったですね。それに,     やっぱり授業は2度目のほうが格段によくなりますね。「随分よくなったね」とコ     メントすると,いい笑顔が返ってきましたね。

  教員A:そうでしょ。実習指導と言えば,どうしても悪い点の指摘ばかりになりがちですけ     ど,やはり進歩を褒めることも大切ですね。褒めると授業はますますよくなってい     くんですよね。

 教員B:私たちだって生徒に「先生の授業,おもしろい」なんて言われたら,単純にそれだ     けで張りきってしまいますからね。

 教員A:無理やりに褒めるわけにもいきませんから,褒めることのできる状況を作り出すこ     とですね。

 教員B:教育実習なんて,まあ必要悪かな,なんて思ってましたけど,私もすこし工夫して     みることにしますよ。

 教員A:何かいいのが見つかったら,ぜひ教えてくださいね。


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