自学力を育む文法指導

 

京都教育大学附属高等学校

 

 

1.はじめに

  ある高校の職員室で2人の英語の教員が話をしている。

 

A:最近,生徒たちがなんか元気ないですね。

B:先生もそう思われますか。授業をしても,反応がなく,学ぶ意欲が感じられないですね。

A:この前『「学力低下」の実態』という本を読んだのですが,それには,12年前の学力検査と  比較すると,今の小中学生の学力は確かに落ちていて,それに特に中学生の「勉強離れ」が  進んでいると書いてましたね。

B:「勉強離れ」ですか。うちの息子も中学生なんですが,休みの日なんかには,テレビゲーム  ばっかりやってますよ。

A:本校の生徒たちも,たくさん塾に通っているようですけど,自分で学ぶ時間は減ってきてい  るんでしょうね。

B:教えてもらうばっかりじゃなくて,自分で勉強しないと,本当の学力はつかないと思います  けどね。

A:そうなんですよね,きっと。

 

 現在,日本の児童・生徒の「学力低下」が大きな問題になってきている。「ゆとり」の中で「生きる力」の育成を目指して種々の改革を試みてきた教育界は,今度は「学ぶ力」についても,本腰を入れた取り組みを迫られている。

 今日の「学力低下」で問題にされる「学力」とは,主として「授業内容を理解する力」であるが,筆者には,問題の根源は「自ら学ぶ力」の低下にあるように思われてならない。この「自学力」こそが「生きる力」の礎となる力である。

 本稿では,英語の文法指導に焦点をあてて,自学力の育成を指向した指導のあり方を考察してみる。

2.昔ながらの文法教育

 

2.1.検定教科書の廃止

 1982年に「英文法」の検定教科書が廃止されて,高等学校の学習指導要領に「総合英語」と称される「英語T」や「英語U」が登場してから20年の歳月が経過した。ところが,文法の検定教科書はその姿を消したものの,「総合英語」で扱う文法だけでは不十分で,やはり独立した文法の授業が必要だ,とする現場の声に応える形で,「準教科書」という奇妙なネーミングの文法書が広く市販されるようになった。

 さて,検定から開放された準教科書は,従来の検定教科書とくらべてどのような特徴をもつものになったのだろうか。第一の特徴としては,

  () 準教科書と同じ名前をもち,同じ装丁を施した分厚い「学習参考書」とセットで市販     されるようになった

点があげられる。検定という「しばり」から解き放たれた準教科書には,参考書の参照ページを自由に掲載できるようになったから,というのがその理由であろうか。そして,自由化された準教科書のもうひとつの特徴は,たいへん皮肉なことに,

  () 従来の文法教科書を踏襲している

という点である。準教科書も,参考書も,出版社にしてみれば,ともに売らなければならない「商品」であって,売るには,それも何万冊という売上げを達成するには,従来の文法項目を従来の文法用語を用いて網羅したものでなければならなかったわけである。

 こうして文法教育は,検定からの開放という改革への絶好の機会を逃がしてしまうことになった。それから20年間,昔ながらの文法の授業が,少数の文法エリートと多数の英語嫌いの生徒を生み出しつづけてきた。

 

2.2.昔ながらの文法授業

 さて「昔ながらの文法の授業」の何がよくないのだろうか。ここでは,その問題点を3点に絞って考察する。

 

2.2.1.文法用語を多用する授業

 困った授業の一番目の例は,文法用語を盛んに振りかざす授業である。たとえば

   ()a. To be frank with you, I can't agree with you.

        b. Frankly speaking, I can't agree with you.

において,(3a)を「不定詞の副詞的用法の独立用法」,そして(3b)を「慣用的独立分詞構文」などという仰々しい名前で呼び,それぞれの用法を声高に解説するという類いの授業である。一般の高校生にとっては,文の意味がわかり,その表現が使えるようにさえなれば,上記のような難解なだけではなく,その妥当性も疑わしい文法用語は,ほとんど意味をなさない。     

 準動詞(「準動詞」という用語自体がけっしてわかりやすいものではないが)の分野に限っても,先ほどの「分詞構文」などに加えて,「不定詞」や「原形不定詞」などという文法用語が当然の用語として,教室で頻繁に使用される。ところが,そもそも「分詞」はなぜ「分かれていることば」なのか,「不定詞」はなぜ「定まっていないことば」なのかについて,学習者はもちろんのこと,教師も含めて理解が不十分なまま,そのような用語が当然のこととして,あまりにも不用意に使用されている。「原形不定詞」についても,それは英語の学習上,不可欠な用語なのだろうか。そんな文法用語は知らなくても,

  () 使役動詞+O+動詞の原形

で十分に用を足すはずである(もっとも「使役動詞」という用語も,必要かつ最適な用語かどうかは検討しなければならないが)。

 学習者に正しいイメージを喚起しない文法用語は,もちろん準動詞の領域に限ったものではなく,また高校生になってから学習するものに限らない。多くの中学生がつまずくもののひとつに「三単現のs」があるが,ここでは「三人称」がつまずきの大きな要因ではないかという気がする。「人称ってなんですか」という素朴な問いには,

  () Iが一人称で,youは二人称,heshetheyは三人称

だという答が返ってくる。しかし,この説明では,初心者にはあまりにも不親切である。「weは1人ではないのだから二人称か」と思うと,「それは一人称の複数だ」と言われ,「youは3人いても二人称で,theyは2人だけでも三人称だ」ということになるのである。

 このわかりにくい話をさらに複雑にしているのが,人ではないdogdesk,それにwaterdemocracyまでもが「三称」と呼ばれることである。そして極めつけが

  () What time is it now?

itである。これは

  () 三人称のitの非人称用法

と呼ばれる。「人称代名詞の非人称用法」などという理不尽な説明は,滑稽ですらある。

 「不定詞」「分詞」「人称」などの文法用語の全面的な禁止を唱えたいわけではない。ただ,不可解な用語を不用意に振り回して学習者を混乱させたり,文法用語の習得がねらいであるかのような授業は慎まなければならない。

 

2.2.2.無用な分類にこだわる授業

  ()a. a sleeping baby  

        b. a sleeping car

において,前者のsleepingは「〜している」という意味だから「現在分詞」で,後者は「〜するための」だから「動名詞」だなどと説明されると,授業の目的が「用法の分類」にあるかのような印象を与える。

 (8a)(8b)はそれぞれ

  ()a. a baby who is sleeping 

        b. a car for sleeping

のことであると説明すれば,それで事足りるのではないだろうか。もし何らかの文法的な説明を加えるとしても,「(9a)(9b)で明らかのように,前者は形容詞の働きをしているが,後者は名詞の働きをしている」と説明すれば,それで十分である。

 また,

  (10) Her grandmother lived to be a hundred years old.

は「結果を表す副詞的用法」であるなどという分類にも,ほとんど価値がない。「副詞的用法」と説明されて,それで学習者が「なるほど」と納得するわけではない。

 無用な分類は,もちろん準動詞に限ったことではない。

  (11)a. Today is Sunday.

        b. It is Sunday today.

において,前者は主語になっているので「名詞」,一方後者は「時を表す副詞」だ,などと説明したところで意味がない。

  (12)a. Come home before dark.

      b. Come home before it gets dark.

        c. I have seen her somewhere before.

(a)は「前置詞」,(b)は「接続詞」,(c)は「副詞」などという分類も,それで学習者の理解が進むことにはならない。

 高校の文法の授業は「5文型」から始まることが多いが,「これは第何文型か」という分類に多くの時間とエネルギーを使わないことである。

 

2.2.3.予習調べの授業

 英語の教員の間で次のようなやりとりがあいさつのように交わされている。

  (13) A:予習をしてこない生徒が多くて授業が進みませんね。

     B:先生のところもそうですか。ほんとに困ったことですね。

 一方,授業中には,先生(T)と生徒(S)たちの間で次のようなやりとりが展開される。

  (14) T:ではS1君,カッコ内には何が入りますか。

     S1(沈黙)

     T:ちゃんと予習してこないとだめだよ。いいね。

     S1(沈黙)

     T:じゃあ,S2さん。

     S2which

     T:そう,そのとおり。S2さんはちゃんと予習してきていますね。

 典型的な「予習調べ」の授業である。しかし,このようなやり方で多くの生徒に文法力がつくのだろうか(「多くの」とことわるのは,どんなやり方の授業でも,一部の優秀な生徒には,それなりの意味があると考えられるからである)。そして,自分はそんな授業はしていないと断言できる英語教師がどれくらいいるのだろうか。

 20021214日の『朝日新聞』第1面には,「中2『勉強嫌い』76%」と大きく書かれた文字が見られる。文部科学省が2002年のはじめに全国の小学5年から中学3年の約45万人を対象に実施した学力調査の結果を載せた記事である。文部科学省は,学力に加えて,学習意欲についてもアンケート方式で調査した。同アンケートの中に「勉強の好き嫌い」について尋ねる項目があったが,その結果(同紙21)を転載する。

 

  (15) 「勉強が好きだ」(数字は%)                 

                         小5  小6  中1  中2  中3

         そう思う                        9                   

         どちらかといえばそう思う       30   27  16  13  14

         どちらかといえばそう思わない   29  34  34  33  33

         そう思わない                   20  23  39  43  42

 

 表中の太字に注目すると,中学生の4人中3人(中1:73%,中2:76%,中3:75%)までもが「勉強嫌い」であることがわかる。

 この勉強嫌いの中学生のほぼ全員が高校に進学する。とすると,高校生の多くが予習をしてこないのも,もはや驚くべきことではないのである。

 生徒が予習してくることを前提にした答え合わせの授業をつづけながら,生徒の勉強不足を嘆いているだけでは,状況は改善されない。

 

 英語の語法には自信がなく,それゆえに英語教師自身が書いた英文にもALTの添削を頼まなければならない。英語の勉強をもかねて映画館へ行っても,字幕に頼らなければ,映画も十分に楽しめない。これが,大半の英語教師の実態である。しかし,こと文法にかけては,並みのALTには負けない自負がある。これもまた事実である。

 そんな英語教師にとって,自らがその習得に苦労した難しい文法用語を多用した授業は,自分の教師としての権威を示すことのできる絶好の舞台である。したがって,昔のままの文法の授業が姿を消さないのは必然的なことなのかもしれない。英語が好きで,英語が得意で,英語教師になった者には,予習を怠る生徒の気持ちは理解しづらい。これもやはり必然的なことであろう。

 しかし,「だれのために授業をしているのか」という原点に立ち返ってみると,従来のままの文法の授業ではいけない,という当然の結論に到達する。

 

 

3.新しい文法教育

 2.では望ましくない授業を3例あげた。ここでは,それに代わって,文法の授業では何をすればよいのかを考えてみる。

 

3.1.暗唱の効用

 『「超」整理法』で一躍有名になった経済学者の野口悠紀雄は,その著『「超」勉強法』の中で,英語の勉強は

  (16) 教科書を20回音読して,丸暗記せよ (p.49)

と提唱している。このような丸暗記というやり方には抵抗を感じる学習者も少なくないだろう。しかし,たとえば英単語の学習について

    (17) 個々の単語をバラバラに覚えようとしても,覚えられるものではない。そのうえ,退          屈きわまりない作業である (p.54)

と述べるとともに

    (18) 英単語が日本語の単語に1対1に対応するわけではない (p.60)

のだから,たとえ単語を孤立して覚えても,それでは使いものにならない,と指摘したうえで,単語は

  (19) できるだけ文脈のなかに位置づけて覚えるべきだ (p.62)

と結論づけられると,日ごろから単語集による勉強に疑念を抱いている英語教師はもちろんのこと,その学習の重要性を熱心に説いている教員も,ともに頷かざるをえなくなる。

 さらに,日本人にとっては永遠の課題といわれる冠詞や前置詞の用法については,「この判断は理屈ではできない」として

  (20) 実際,アメリカ人に聞くと,論理的に答えるのではない。何度か口ずさんで,「こちら     だ」という。ちょうど,日本人がテニオハについていうのと同じである。その感覚を          養うには,多くの文章を丸暗記するしかない (p.64)

と力説している。

 英文の丸暗記を唱える野口の主張は,暗唱の効用をそれとなく感じている英語教師の意を強くしてくれる。しかし,暗唱に効果が認められるとしても,一般の生徒たちには,どれほどの量の暗唱が可能なのだろうか。野口のいう「教科書の丸暗記」ができる生徒は,そう多くはないようにも思われる。

 子供の暗唱能力について,英語学者の斎藤兆史は『英語襲来と日本人』の中で,次のように述べている。斎藤は,現在全国で実施されつつある小学校への英語の導入に疑念を抱きながらも,もし導入するとしたら,

  (21) 英語教育の訓練を受けていない先生方はいっさい英語を話さず,ましてや生徒に文法          無視のおかしな自己表現などさせず,素読や暗唱だけを徹底的にやらせておいていた          だきたい。ポケモン251匹の名前から,その技・進化形まで完璧に覚えてしまう小学          生の記憶力を無駄にする手はない (p.163)

と要望している。前段の授業内容についての主張には賛否両論があるだろうが,「ポケモン」以下の指摘には,不思議な説得力がある。

 

3.2.暗唱の実践

 本校では,「オーラル・コミュニケーション(以下OC)」という科目が登場した1994年以降,(22)に示すように,週2時間のOCの授業のうち,1時間を文法の授業にあてている。

 

  (22)

  O C

 週2時間

 1時間:LLALTとのTeam Teaching

 1時間:HR教室でGrammar

 

Team Teachingにおいては,主として自編教材で授業を行い,できるだけ多くの発話機会をもつように心がけている。ここでは,間違いなく話すこと(accuracy)よりも,意図が相手に理解されること(acceptability)に重きを置いている。一方Grammarの授業では,準教科書を用いてaccuracyの面からコミュニケーションをサポートするという視点に立って授業を展開している。

 さて,今年度(2002年度)は,新たな試みとしてTeam Teachingの授業において,Martin Luther King, Jr. が黒人の公民権と差別の撤廃を求めて行なった名演説‘I Have a Dream’を暗唱させることにした。

 暗唱する箇所は,スピーチ後半の山場の部分で,“I have a dream that...”という印象的なフレーズが登場するところ以降の部分である。その箇所を生徒5人に割り当てて覚えさせ,一人ずつ順番に教室の前に出て,感情豊かに暗唱箇所を発表していく,というやり方ですすめた。

 ‘I Have a Dream’は,非常に格調の高いスピーチで,発音の難しい語も散見されるため,それを暗唱して大勢の生徒の前で発表することは,高校1年生にはけっして容易なことではない。したがって,事前には,この暗唱発表を生徒が嫌がることも,ある程度予想していた。ところが,生徒たちが発表を終えた直後に書いた感想には「もっと練習しておくべきだった」というような自己反省のものに加えて,

  (23)a. 覚えたことが後に役に立てばいいと思う

        b. 発音を重視して学習する機会が与えられてよかった

    c. キング牧師の強い思いがよく伝わってきた

    d. スピーチを覚えることで英語力が少しあがった気がする

    e. 人に聞いてもらうために話す,言葉としての英語を身につけられたと思う

    f. 覚えた英文は長い間頭の中に残るだろうし,覚えた単語は忘れないだろう

などの肯定的なものが目立った。最後に,英語教師がたいへん勇気づけられる感想をそのまま転載する。

  (24) 正直,初めはスピーチなんて嫌だと思っていた。だけど覚えているうちに,だんだん          テープのキング牧師と一緒のペースで話せるようになってくると,とても楽しくなっ          た。英文を覚えるということが初めて「楽しい」と思えた。

 また,それから2週間後の学期末(1216日)に,次のアンケートをしてみたところ

 

  (25)I Have a Dream’はいい経験(勉強)になった [@〜Dのいずれかを選択]

      そう思わない @-2  A-1  B0  C1  D2   そう思う

 

私が担当する2クラスの回答数とその割合(%:少数第1位で四捨五入)は以下のようになった。

 

  (26) そう思わない   @-2   A-1   B0   C1   D2   そう思う

           回答数        2  2  11 27 37

                               14 34 47

 

 当初の予想に反して,今回の暗唱と発表を肯定的に評価している生徒が8割を超える(81)結果になった。うれしい誤算であった。

 英文の暗唱は,もちろん暗唱する内容にもよるが,生徒にとって必ずしも,単なる苦行だけに終わるものではないようである。

 

3.3.暗唱と文法

  英文を暗唱することの最大の長所は,それが,単語,読解,文法,語法のすべての領域を覆っていることである。上述の‘I Have a Dream’も,もちろんその例外ではない。たとえば

  (27) I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be         judged by the color of their skin but by the content of their character. 

には,関係副詞のwhereが,また

  (28) This is the faith that I go back to the South with.

では,「関係代名詞…前置詞」の構文が登場する。そして

  (29) With this faith we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to         jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day!

には,分詞構文が,そして

  (30) Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado!

では,「使役動詞+O+動詞の原形」が出てくるという具合である。

 そうすると,「英語T」や「英語U」などでは,さかんに「副教材」やいわゆる「投げ込み教材」を用意するが,「文法」の授業はその種の教材とは縁がない,という固定観念は,考え直す必要がありそうだ。

 最近ベストセラーになった本『世界がもし100人の村だったら』には次の1節があるが,

  (31) In the world today, 6 billion 300 million people live.

         If this world were shrunk to the size of a village,

         what would it look like?

         If 100 people lived in this village,

         52 would be women, 48 would be men.

         30 would be children, 70 would be adults,

         among those, 7 would be aged.

これを「仮定法」の学習に利用しない手はない。

 

3.4.Read and Look Up

  ひとつのまとまりのある英文の暗唱に効果が認められるとしても,学習すべき文法事項の一つひとつに最適の暗唱文が存在するわけではないし,たとえ存在するにしても,時間的な制約から,それぞれの英文をすべて暗唱していくわけにはいかない。そこで,文法の学習は,どうしても個別の文法事項を含んだ1文ずつの例文に頼らざるをえない場合が多くなり,その結果,参考書や準教科書には,おびただしい数の例文が掲載されることになる。

 たとえば,準教科書の分詞構文のページには次のような例文が並んでいる。

  (32)a. Taking a bath, I heard the telephone ring.

        b. Having nothing to do, he took his dog for a walk.

        c. Listening to her songs, you will think her a professional singer.

        d. Having a good reputation, the movie wasn't so interesting to me.

この4つの例文はすべて分詞構文という共通点があるが,それぞれが単独の意味をもつ互いにつながりのない文であるから,これを「この順に丸暗記する」ことには意味がない。

 そこで,このような場合にはRead and Look Upが推薦できる。Read and Look Upは,機械的な棒読みを避けるための方法で,まず1文を黙読させ,次の瞬間に,それから目を離して音読させるという手順をとる。

 文法の授業は,2.でも述べたように,文法項目の解説と設問の答え合わせという単調なものになりがちだが,Read and Look Upを用いることによって,授業に変化と緊張感を与えることができるようになる。

 

3.5.Announcer Reading

 ただし,Read and Look Upさえ採用すれば,それで「昔ながらの文法授業」から抜け出ることができるというわけにはいかない。ひとつには

  (33) Read and Look Up ばかりでは,それも単調になる

からであり,もうひとつには

  (34) Read and Look Upは,特に英語を苦手とする生徒には相当のストレスを与える

恐れがあるからである。

 そこで,(34)の問題を解消する方法として,Announcer Readingを提案したい。これは筆者が考案した方法で,Announcer Readingというネーミングも正式なものではない。テレビでニュースなどの原稿を読むアナウンサーは,原稿をうつむいたままの姿勢で読んでいるわけではなく,たとえば,天気予報で「明日は北部では雪が残りますが,中部や南部ではおおむね晴れの天気となるでしょう」という原稿を読むときには,後半部分では原稿から目を離して,カメラに向かって語りかけるようにする。このテレビのアナウンサーが行なうのと同じようにして英文を読むのがAnnouncer Readingのやり方である。

 ためしに,(32)の4つの例文をRead and Look UpAnnouncer Readingのふたつの方法で音読してもらいたい。すると

  (35) Announcer Readingのほうが楽である

ことが実感できるだろう。

 一般の学習者にとっては

  (36) 学習のハードルが低いほうが,学習をはじめやすい

のであって,

  (37) ストレスがかからない無理のないやり方のほうが長続きする

のである。Announcer Readingはその点ですぐれている。

 また,Announcer Readingは,次のような対話練習をするときには特に有効である。

  (38) ADid you post the letter I gave you this morning?

         BLet me see...  I can't remember posting it.  Oh, it's still in my bag.

     ARemember to post it tomorrow, will you?

         BAll right, I won't forget.

これは動名詞と不定詞の使い分けを学習するためのものであるが,この対話練習をするときに,A,B双方がAnnouncer Readingを行ないながら対話を進めていく。話しはじめの部分では原稿を見ていてもよいが,途中で顔をあげて,相手の目を見て文をいい終えるのである。

 このやり方によって,感情のこもらない棒読みの対話を避けることができるだけでなく,相手の顔を見て話をするという自然なコミュニケーション活動にも,無理なくつなげていくことが可能になる。

  ここではAnnouncer Readingを提唱したが,このほうがRead and Look Upにまさる,というのが論旨ではない。(33)で指摘した単調さは,Announcer Readingばかりの場合にもあてはまる。二項対立にならずに,両者をうまく併用すればよい。

 今年度の文法の授業では,文法解説は極力抑えて,Read and Look UpAnnouncer Readingに多くの時間を割くように心がけたが,生徒たちはそのような授業をどう評価しているのだろうか。

 3.2.で述べたアンケートでは「文法の授業は役に立つか」も尋ねてみたが,その結果は次のとおりである。

 

  (39) そう思わない   @-2   A-1   B0   C1   D2   そう思う

           回答数        0  0  4  18 57

                                  23  72

 

 「文法の授業は役立つ」と評価する生徒が95%にも達し,一方「役に立たない」と思う者は皆無だった。

  (40) 日本人の英語下手は,学校で役に立たない文法ばかりを偏重しているからだ

と批判されることの多い文法の授業において,Read and Look UpAnnouncer Readingをたくさん盛り込んだ授業は,生徒たちから「有益」との評価をもらった。

 生徒が役に立つと思っても,実際に役立っているかどうかはわからない,という見方もあるだろうが,学習者がそう感じているということは,たいへん重要なことである。

  (41) 「今学んでいることが役立つ」という意識は,学習への最高のモチベーションになる

からである。

 

3.6.音読に値する例文

 さて,文法書には数多くの例文が登場するが,それは文法や語法を教えるためのいわば手段にしか過ぎず,主眼はあくまでも文法や語法の習得にある。したがって,例文は,教えるべき事項のみを明示した,内容的には無味乾燥なものになりがちである。

 しかし,Read and Look UpAnnouncer Readingなどによって,それを音読させるには,その対象となる例文は,内容面でも音読に値するものでありたい。

 たとえば,関係代名詞のwhatを説明する例文として

  (42) What he says is important.

は,くり返して音読するに値するだろうか。これは市販の構文集に実在する例文である。もちろんwhatの用法として間違いがあるものではないが,内容面では物足りない。せめて

  (43) What I'm going to tell you is important, so listen carefully.

程度にはリフォームしたい。同様に,動名詞の意味上の主語を扱う例文の

  (44) She is proud of her family being rich.

なども,どうも俗物的で,嫌な印象を与える文である。

  (45) She is proud of her son having done his best.

とでもすると,もっと「納得のいく例文」になる。‘feel like ing’という表現を教えるための

   (46) She felt like giving up the plan.

では,具体的な発話状況が見えてこない。(46)よりも

  (47) She felt like throwing something at her husband.

のほうが,あまりおだやかな状況ではないが,その場面がイメージしやすくなり,それだけ「生きた例文」になる。

  (48) However hard you try, you will not succeed.

などもよく見かける例文だが,このような学習意欲をそいでしまうものより

  (49) However tired he is, he never complains.

のほうが,少しは「やる気を喚起する例文」になるように思われる。

  (50) My parents made me what I am.

は謙虚でいい文だが,

  (51) Working hard made him what he is.

のほうが,やはりやる気を起こさせる例文だといえるだろう。そして

  (52) It is wrong to tell a lie.

よりも

  (53) Is it always wrong to tell a lie?

のほうが,もっと「うなずける例文」に変身する。

 生徒が使う準教科書,参考書,構文集,単語集の採択にあたっては,暗唱や音読に値する例文がそろっているものを選びたい。それと同時に

  (54) She is always spoken ill of by her classmates.

に代表される,教室で扱うにはあまりにも「無神経な例文」を載せたものは採用しないことである。

 

 

4.自学力を育む文法指導

 3.では,長年にわたって行なわれてきた従来型の文法の授業に代わって,暗唱や音読を盛り込んだ新しい文法指導のあり方を提案した。次に,自学力の育成を指向した文法指導のあり方について考察する。

 

4.1.英語学習に関する調査

 教室での授業とは別に,高校生は英文法をどのように学習しているのだろうか。本校の3年生100名を対象に次の「英語学習に関する調査」を200211月に実施した。なお,対象の100名は,筆者が今年度「ライティング」を担当している2クラスに,無作為に選んだ生徒(偶然に教官室に入ってきた生徒など)を加えたものである。

 

   (55)  英語学習に関する調査 [当てはまるものを1つ選択]

     1.英語を学校外(塾・予備校・家庭教師など)で教わっていますか。

            @はい Aいいえ 

         2.文法項目別の参考書をもっていますか。

            @はい Aいいえ 

         3.[2.で「はい」と答えた人のみ] その参考書を利用していますか。

        @よく利用する Aあまり利用しない B利用しない

 

  結果を(56)に示す。

 

  (56) 1.@88 A12

     2.@75 A25 

         3.@18 A44 B13

 

 この調査によって,まず

  (57) 塾(予備校,家庭教師を含む)で英語を学んでいる生徒が9割近くいる

ことがわかった。通塾の理由が大学受験にあることは明らかだが,学校でも,受験をひかえた高校3年生のニーズに応える方策を講じていないわけではない。3年生には,必修科目として「リーディング(3単位)」,「ライティング(2単位)」を,また選択科目として「英語U(2単位)」を設置し,それぞれの科目では,受験問題集を使っての問題演習に多くの時間を費やしているのである。

 また,通塾の一方で

  (58) 文法の参考書をよく利用して学習している生徒は2割に満たない

ことも判明した。そして,学校での6年間にわたる英語教育を受けてきながら

  (59) 参考書をもっていない生徒が4人に1人いる

ことや,

  (60) 参考書をもっている生徒のうち,それをあまり,あるいはまったく利用しない生徒が     4人中3人((4413)÷750.76)もいる

ことも明らかになった。

 

4.2.「教わる」学習

 上記の調査から

  (61) 学校で学んだことを基盤にしてそれを家庭学習で補強する,のではなく,学校に加え     て塾でも教わる,という学習スタイル

が見えてくる。これは,本校の3年生100名を対象にした小規模な調査にしかすぎないが,このような「教わる学習スタイル」は,英語(あるいは英文法)に限ったことではなく,他の多くの受験科目についてもいえることであり,また,他の多くの進学校においても,同様の現象が見られることであろう。

 今,子どもの学力低下が大きな問題になっているが,その一因にこの「教わる学習」があるように思われてならない。

  (62) 学歴社会が塾通いを促進し,塾通いが自学力を抑制する

という図式である。

 「うちの子にはのびのびと育ってもらいたい」という願いをもち,学習塾の代わりに(あるいは学習塾に加えて)野球やサッカーや水泳などを習わせる親も少なくない。しかし,そこは「野球教室」「サッカー教室」「水泳教室」であって,子どもたちは,そこで野球・サッカー・水泳をやはり「教わる」ことになる。

 筆者の子ども時代は,スポーツといえば,まず野球しかなかった。時間があれば(時間はいつもたっぷりあったが)家の前の通りでキャッチボールをし,4,5人そろえば,近くの広場に行って野球(正確にはソフトボール)をして日が暮れるまで遊んだ。体操服に着替えるわけでもなく,もちろん揃いのユニホームなどもなかった。野球といっても正確なルールを知っているわけではなく,だれかが「この場合はアウトだ」といって,それでみんなが納得すれば,それでアウトになった。納得しないときには,プレーを中断して,みんなで話し合ったり,どなりあったりして,その場でルールを決めていった。また,体の大きな上級生が加わったときには,その人用に特別のルールを創った。ルールといっても,「○○ちゃんは大きいから,左で打つ」,「△△君は力が強いから,塀を越したらアウト」といった類いのものである。フェアゾーンも90度に限らなかった。守りの人数が少ないときには,その角度は狭められた。ベースの数も4つに決まっておらず,俗にいう「3角ベース」の野球である。広場の隅に雑草が繁る夏場には,草むらに飛び込んだボールを探し出すのに苦労したが,そんなときには,草むらにボールを打ち込んだ者はアウトにした。文字どおりの「草野球」であった。ルールは変幻自在で,みんなで考えて,創っていった。マニュアルはなかったし,指導者もいなかった。

 今の子どもは塾通いに忙しい。時間があるときには(時間はあまりないが)テレビを観たり,テレビゲームをしてくつろぐ。しかし,テレビの視聴は,どうしても「受動」の域を越えられず,テレビゲームには,マニュアルが完備されている。塾にも,テレビにも,テレビゲームにも「能動」の姿が見てとれず,そこでは「創造性」は養われない。

 遠く過ぎし日への想いは,セピア色のノスタルジアも混ざって,少し美化に過ぎるかもしれない。けれども,子どもたちどうしで工夫しながら創り上げていった遊びは,野球に限らず,常に創造的で能動的な活動であったことだけは間違いない。

 勉強も,自分で苦闘するより,人から教えてもらうほうが楽だし,そのほうが即効性があるようにも思える。しかし「教わるばかりの学習」では,本当の学力は培われないのではないだろうか。学力とは「自ら能動的に学ぶ力」にほかならないからである。

 このように考えると,皮肉なことに,

  (63)「学力低下」の解決策は,子どもを自由に遊ばせることにある

のかもしれない。 

 

4.3.参考書の採用

 今まで本校では,一冊の参考書を指定して,それを購入させることはしてこなかった。ひとつには,文法の授業では,準教科書とそれとセットになった問題集のみを用いてきたからであり,もうひとつの理由は,それぞれにさまざまな工夫をこらした参考書がたくさん市販されていて,その中からひとつのものに限定する必要を認めなかったからである。服に好みがあるように,本にも好みがあるのだから,自分が一番いいと思うものを買って勉強すればよい,と考えていた。

 ところが,上記の調査で,参考書を活用して英語を学習する生徒が予想外に少ないことが判明した。これでは,自学自習の習慣をつけることは望めないのではないかと教科会で話し合った結果,来年度(2003年度)からは,1年生全員に同一の参考書を購入させて,それを文法の授業のテキストとして使用することを決定した。

 こうして,自学力の育成を指向した新たな取り組みはその緒についたが,もちろん,それで問題が解決したわけではない。準教科書を用いての授業では,授業の立案は実に簡単である。30ほどのレッスンがある準教科書を選んで,1時間の授業で1レッスンずつ進んでいけばよいからである。大半の準教科書は,見開きで1レッスンになっていて,左のページに例文と必要最小限の解説があり,右のページには,それに対応した演習問題が設けられている。したがって,授業の手順は,次のようないたってシンプルなものになる。

  (64) 左のページの記載事項の説明 右のページの答え合わせ

 ところが,参考書を使っての授業となると,こう簡単にはいかない。見開き2ページで1レッスンとなるようには構成されていないのだから,授業の年間計画を立てる際には,まず

  (65) 1年間に授業で扱う項目の選択

をして,さらに

  (66) 1時間の授業で進む範囲の設定

を考えておかなければならない。これをしっかりしておかないと,場当たり的でまとまりのない授業になってしまう。

 そして,次に考えなければならないのは,もともと自学自習用に編集された参考書を用いて「授業で何をするのか」である。

 

4.4.授業で何をするのか

 テキストに書かれていない事柄を説明すれば,生徒は「聞きのがしてはならない」と注意を向けるだろうし,それを板書すれば,ノートに写しもするだろう。ところが,参考書には,必要事項は一応網羅されている。読めばわかるように書かれている内容をくどくど説明しても,高い視聴率は期待できない。では,英語教師は教室で何を教えればよいのだろうか。

 以下に,参考書を用いての授業ですべきことを7つ提案する。

 

T.難解箇所の解説

 1年間の授業で扱う項目の一つひとつについて,

  (67) 読めばわかるところは説明しないで,読んでもわかりづらいところに限って説明する

ように心がける。

  (68) 自明の事項についての説明は「不必要」ではなくて「害悪」

だと認識すべきである。

U.音読練習

 「言語活動の原点は音声にある」という基本に立ち返って,参考書に登場する例文を徹底的に音読させる。その際には,3.で提唱した

  (69) Read and Look UpAnnouncer Readingをたっぷりと取り入れる

ことである。生徒がそのようなやり方の授業を有用だと高く評価することも上述のとおりである。

 

V.対話練習

 「文法のための文法学習」に陥らないためにも,

  (70) 文法が実際の会話でどのように役立っているのかを学習者に実感させることが大切

であり,それには

  (71) Announcer Readingを用いた対話練習がうってつけ

である。Read and Look Upによる対話練習では,特に初心者のうちは,「覚えた文を必死になって吐きだす」という雰囲気のやりとりになりがちで,それでは,自然なコミュニケ―ションが成り立ちにくい。Announcer Readingを推奨するゆえんである。

 対話練習はまた,単調になりがちな文法の授業に活気を与え,適度な変化をつけるうえでも効果がある。ただ,学習する文法項目をうまく盛り込んだ対話文の作成にはそれなりの時間が要る。対話を載せている参考書があれば助かるが,筆者の知る限り,対話練習ができるように工夫されている参考書は2種類だけである。

 

W.暗唱練習

 英文の暗唱を推奨しているのは,上述の野口や斎藤に限らない。また,暗唱と文法との関連については,3.3.で述べた。

  (72) 暗唱は,少なくとも1度は取り入れたい活動

である。暗唱に対する生徒たちの評価も予想外に高い。あまりたいそうに考えずに,とにかくやってみることである。

 

X.授業内予習

 予習とは,普通は「授業にそなえて前もって家庭で行なう学習」のことをいう。しかし,予習を指示したからといって,それで必ずしも完璧な予習が期待できるわけではない。また,2.2.3.でも指摘したように,予習に重きを置きすぎると,授業は必然的に「予習調べ」の様相を呈することになる。そこで

  (73) 授業中に一定の時間を割いて予習させる

のも,おもしろい方法である。これは,授業中に,たとえば“I'll give you three minutes. Try to answer the next questions.”というような指示を出して解答時間を与え,指定の時間がたつと“Now check your answers.”と指示して,自己採点をさせるという手順をとる。

 授業内予習も,対話練習と同様に,授業に変化をつけるのに有効である。また,この方法をとることによって,

  (74) 家庭で予習をしてきたかどうかで生徒を二分することがなくなり,クラス全体が同じ          スタートラインに立って,授業を受けることができる

ようになる。これは「授業内予習」がもつ大きなメリットである。

 

Y.授業内復習

 予習と同様に,復習は本来は家庭で行なうものである。しかし,やはり一定の時間を与えて,  (75) 授業中に学習事項の確認をさせる

ことにも意味がある。

  (76) 「1時間前の自分より賢くなった」ことが実感できる授業

を提供すれば,生徒はその授業をないがしろにはできない。

 

Z.余談

 授業中の教師の余談もまた,授業に心地よい変化を与えることができる。

 余談の1例をあげる。Greenbaum et al. (1990, p.116)は,代名詞の指示内容に関して,次のような興味深い例文を紹介して,

  (77)a. Penelope begged Jane to look after her.    

        b. Penelope begged Jane to look after herself.

(a)herPenelopeを,そして(b)herselfJaneを指すと説明している。代名詞のself形を学習するときには,「これを再帰代名詞と呼ぶ」などと説明するよりも,このような例文を提示して,学習者の知的好奇心をくすぐりたいものである。

 ただし,余談は知的刺激に限ったものではない。たとえば,分詞を学習していて

  (78) The mother went into the shop, leaving her baby alone in the car.

あるいは

  (79) Someone left the water running.

などの例文が出てきたときには,「車に放置された幼子の事故死」や「地球環境」などについて,教師は人生の先輩として,自分の人生観や価値観を語ればよい。

 もちろん,余談が過ぎると,授業は方向を見失うが,

  (80) 適度な余談は,授業に人間味と深みを与える

ことができる。

 中身のない雑談ではなく,若い心に良質な余談が注げるように,日ごろから心がけたいものである。

 

 

5.おわりに

 英語のA先生とB先生がまた話をしている。

 

A:先日,3年生のクラスで調査してみたんですが,9割近くの生徒が塾で英語を習っているん  ですよ。正直なところ,これには驚きましたね。その一方で「文法の参考書をよく利用する」  と答えた生徒は2割もいなかったんですよ。

B:自分で勉強するかわりに,塾で教えてもらっているということですかね。

A:私らが高校生のときには,もっと自分でがんばったものですけどね。

B:こうなると,学校の授業も昔のままというわけにはいかないんでしょうね。

A:そうですね。「自分で学ぶ力をつける」指導へと方向転換しなければいけませんね。

B:英語の授業の「構造改革」が必要というわけですね。でも具体的には何をすればいいんでし  ょうかね。

 

本稿では,

  (81) 昔ながらの文法指導の問題点を指摘

するとともに,

    (82) それに代わる新しい文法指導を提示

し,さらに,それを踏まえながら

    (83) 学力低下が危機感をもって語られる時代に求められる文法指導のあり方を提案

した。

 また,論述にあたっては,

  (84) 提案内容が空虚な抽象論に陥ることなく,できるだけ具体的かつ「明日からの授業に     役立つ」ものになるように

努めるとともに,

    (85) できるだけ学習者の実態を反映したものになるように

心がけた。

 「学習者の実態」を知るために,1年生と3年生にアンケートを依頼したが,本校生は,このような調査にいつでも快く協力してくれる。ありがたいことである。生徒たちの協力が,後輩たちの受ける教育の改善につながることを願う次第である。

 表題にある「自学力」の育成は,文法教育においてのみ必要なことではないので,文法指導の分野を越えて教育全般のあり方へと筆が走ったところもあるが,一英語教員としては,まずは,自分の授業から「構造改革」していくことだと心得ている。

 

 

 

 

参考文献

 

Greenbaum, Sidney, Randolph Quirk, Geoffrey Leech, and Jan Svartvik1990A Student's Grammar of the English   LanguageLongman

橋本雅文.1991.「再考 不定詞,分詞,動名詞」『京都教育大学教育実践研究年報』第7号,155-166

橋本雅文.1992.「人称代名詞再考」『京都教育大学教育附属高等学校 研究紀要』第51号,115-126

橋本雅文.1994.「副詞再考」『京都教育大学教育実践研究年報』第10号,277-286

橋本雅文.2000.「予習再考」『京都教育大学教育附属高等学校 研究紀要』第67号,59-69

橋本雅文.2000.「例文再考」『より良い英語授業を目指して』93-101.大修館書店.

池田佳代子(再話) C.ダグラス・ラミス(対訳)2001.『世界がもし100人の村だったら』マガジンハウス.

刈谷剛彦,志水宏吉,清水睦美,諸田裕子.2002.『「学力低下」の実態』岩波書店.

野口悠紀雄.1995.『「超」勉強法』講談社.

斎藤兆史.2001.『英語襲来と日本人』講談社.

新川右好,森山淑夫(編注)1984.『I Have a Dream キング牧師とアメリカの夢』三友社出版.

 

戻る