地歴・公民科における指導方法の改善と実践
                                                               京都教育大学教育学部附属高等学校 地歴・公民科
                                                                                     井上 達朗・園田 平悟・高田 敏尚

 本校では地歴科、公民科で4名の専任教官がいるが、1998年11月に行われた教育実践研究集会で、助言者に水山光春京都教育大学助教授を迎えて、地理、歴史、社会の3分野より日常の実践や指導方法の工夫を含んだ発表を行った。以下にこの3分野からの実践を報告する。

【1】「生徒の主体的活動を促す地理学習の試み」
〜《地理写真を撮ろう》・《分布図を作ろう》の取り組み〜
1.はじめに
 学力観の見直しの中で、作業的・体験的学習や課題探求型学習など、生徒の主体的学習が一層求められている。地理教育においても、すでにそうした実践がいくつか報告されつつあり、今後、地理教育における生徒の主体的学習論として議論されていくことが望まれる。そのためには、まだまだ多くの実践の蓄積が必要であろう。本報告は、生徒の主体的活動を促す地理学習の試みとして、1998年度、2年生『地理B』受講生(81人)を対象に、《地理写真を撮ろう》・《分布図を作ろう》をキャッチフレーズに取り組んだ実践報告である。なお、研究集会で主に発表した《地理写真を撮ろう》については別途報告する予定である。ここでは《分布図を作ろう》について主に報告をする。

2.《地理写真を撮ろう》・《分布図を作ろう》の取り組みの動機
学習指導要領の『現代と地域』の中項目『地域の調査と研究』は、作業的・体験的学習をまとまって行え、本来、生徒の主体的学習が最も中心となる学習単元である。それゆえ、自ら学ぼうとする意欲を喚起し、自ら学ぶ力を身につけさせることができうる学習単元といえる。なぜなら、『地域の調査と研究』は程度の差こそあれ、研究者が行う作業の追体験にほかならないからである。学習指導要領においても特に<内容の取り扱い>の中で「野外調査と文献調査の時間を設けて、積極的に実施すること」が強調されている。しかし、その重要性が指摘され、しかもそのことが認識されているにもかかわらず、この単元が広く現場で実施され、定着しているとはいいがたい。以下に、このような実態の背景について考えつつ、その改善点を考えてみたい。
a)野外調査について
 野外調査は教室を離れ、野外に出て観察・見学し、資料収集を行う活動が中心である。この野外調査が実施しにくい、あるいは実施できない理由として、戸井田勝巳(1997)aは、@年間指導計画上への位置づけの困難さ(限られた授業時間数) A1単位時間や生徒数・引率教員に関わる困難さ  B指導教員の経験不足や実践的指導力、熱意の不足に関わる困難さの3点をあげている。野外調査を実施しようとした場合、@Aなどの困難さを克服しなければならないほかに、Bの教員の熱意の不足とかかわって、その準備に多くの時間と労力がかかることがあげられる。また、地理担当教員が地理学を専攻してきた者でない場合、Bの教員の経験の不足が実施できない最も大きな理由と考えられる。さらに、瑣末ではあるが大学入試とのかかわりが薄い点もその理由にあげられる。今回の《地理写真を撮ろう》の取り組みは、このような状況の中で「何ができるか」をもう一度、野外調査のねらいや方法を考え直すことから思いついたものである。
 野外調査の意義・ねらいについて、戸井田勝巳(1997)aは、@地理的な事象をみるための「方法」の理解・・地理的な見方や知識 A社会参加の第一歩(意欲)・・身近な地域に愛着や問題意識をもつことで、それ自体が「目的」になりうるの2点をあげている。また、堀内一雄(1994)bは、@身近な地域の事象・事物を注目させ(知る)、その意味や課題を発見する A調査の方法を身につけ、調査内容を分析・整理し、表現する能力を養う B地域社会の中で人と交わる事により、社会の礼儀やルール、人の暖かみを肌で感じるの3点をあげている。両者の表現は若干異なるが、筆者なりに整理してみれば、a.《戸井田のA》や《堀内の@B》にみる「地理的事象に注目させ、その意味や課題を発見し、その結果として身近な地域に愛着や問題意識をもち、人々とも交流する」こと b.《戸井田の@》や《堀内のA》にみる「調査方法を理解する」ことの2点となろう。
一般に野外調査の学習を想定した場合、上記bの「調査方法を理解」させることに重点がおかれ、教科書記述にみられるようなまとまった調査成果を生徒に得させることに、その到達目標がおかれてきたように思われる。そして、このような野外調査の学習を実施しようとすれば、前述した「野外調査の困難さ」にぶつかり、結局、野外調査の学習を「しない」ことになる。また、野外調査を実施している場合でも、限られた時間内にまとまった調査成果を得させるために教師側が調査対象・内容・方法などを用意周到に準備し、そのために、時として生徒は指示されるままの活動を行っただけで、主体的に学習した実感が伴わず、学ぶ意欲をもてないまま終わってしまっていることがある(岩田貢:1998)c。上記bの「野外調査の方法を理解」させる学習が展開されることが望ましいに違いないが、生徒の主体的な学習姿勢を養うために、先ず重要なことは、野外に出て、生徒一人一人が主体的に(自ら)社会的(地理的)事象に注目し(見ること)、その意味を発見する(知る)ことを体験させることではないだろうか。その体験が社会的(地理的)事象を調べる関心と意欲につながり(主体的に学習した実感を伴い、学ぶ意欲につながり)、野外調査の方法を学ぶレディネス(段階的指導の発展)となる。また、社会的(地理的)事象に注目し、その意味を発見することは、そのこと自体が野外調査のねらいの1つでもある。野外調査のねらいをこのように考えることで《地理写真を撮ろう》の取り組みを思いついたものである。
 b)文献調査について
 文献調査は、地図・年表・各種の統計・年鑑・白書・新聞・読み物その他の資料などを利用して室内で行う学習活動である。学習指導要領では、文献調査の学習は主に世界の国々を対象として行うこととされ、その<内容の取り扱い>において「適切な1つの国を取り上げて行うこと」とされている。この学習の場合も、授業時間内に十分な活動の時間が確保しにくい。その場になかな適当な文献を用意しにくいなどの問題があるが、これは課題学習にするなどで、工夫の余地はある。しかし、目的や内容を指示して、課題学習とした場合、調べ学習が他人のまとまった成果を写すだけに終わってしまったり、逆に生徒に目的や内容を決めさせ、課題学習とした場合、その目的にあった文献を見つけることが必ずしも容易でないなどの問題がある。野外調査と同様、調査・研究する方法の理解・・文献などの資料の種類や所在とその収集の仕方、及びそれを選択、処理して地域の特色を把握することにに重点がおかれ、しかも、資料収集の制約の多い「世界の国々」を対象にすることに問題がある。生徒の主体的な学習を養うために、先ず重要なことは、さまざまな資料を収集し、あるいは加工することで、今まで気づかなかった地理事象やその特色が発見できることを体験させることである。その体験が探求する関心と意欲につながり文献調査の方法を学ぶレディネスとなる。地理学の有効な手法にデーター(既製の統計や自分で集めたデーター)を地図化して、考え、探求する方法がある。そして、データーを地図化することによって、今まで見えなかったものが見えてくることがある。成果にこだわらなければ、データーを地図化すれば何らかの特徴が見えてくるともいえる。生徒にもこうした作業を通じて、見えないものが見えてくる体験(意外性、驚き、感動)をきっかけとして、見えてきたものをさらに探求させることができるのではないか。しいては、問題解決のための文献調査へとつなげられるのではないかと考え、《分布図を作ろう》の取り組みを思いついたものである。

3.《地理写真を撮ろう》・《分布図を作ろう》の取り組みの位置づけと目的
 学習指導計画上の位置づけについて、下記の表に示す。

      図 略

4.《分布図を作ろう》の取組みの実際
a)実践の経過過程
 ア.夏休みの課題
《資料1》を例示として、夏休み前に「どんな分布図を作る?」か、各自のアイディアを書かせた。コンビニ・自動販売機・塾・ファーストフード店など、彼らに身近なテーマから羊羮や納豆の消費量・体型(身長・体重)・マンション・寺社・映画館などなかなか多様であった。次に夏休みの課題として各自のテーマ設定とそのための資料を収集してくることを課した。しかし、提出されたテーマは、あらたな発見や探求に結びつきそうなものはほとんどなかったし、なによりもこの課題を提出できなかった者が少なくなかった。教師側がなんら指導上の工夫もしないまま、生徒にテーマ設定を課したことは、ある程度予測できた事とはいえ、完全な失敗であった。資料収集を含めたテーマ設定は、生徒のアイディアだけのテーマ設定とは異なる。本来、地域調査において資料収集ほど困難なことはなく、生徒が資料収集の制約から、発見性・探求性に乏しいテーマ設定にならざるを得ないのは当然といえる。 
 イ.冬休みの課題
生徒各自がテーマを設定し、そのための資料収集を行うことは、すぐには難しいと考え、とりあえず、分布図を作成すれば、新しい発見と探求が可能であることを体験させることをねらいとして、「《分布図を作ろう》ウォーミングアップ編」と称して、次の課題を冬休みに課した《資料2》。
 テーマは京都府の市町村を対象地域とするT:人口、U:5年間の人口増加率、V:昼間人口率、W:0〜4歳の人口率、X70〜74歳の人口率、Y:一人あたりの小売販売額、Z:全就業に対する製造業従事者割合、[:全就業者に対する金融・保険業従事者割合、\:100世帯あたりの乗用車保有台数の9項目と日本の都道府県を対象地域とするT:1000世帯あたりのルームエアコン保有台数、U:5年間の人口増加率、V:100世帯あたりの自動車保有台数、W:1000人あたりのコンビニエンスストアの店数、X:製造業出荷額、Y:老年人口率の6項目である。このうち京都府・日本のそれぞれから、各自4つずつ選択し、教師側が準備した作業用プリント《資料3》に、階級毎に分類・彩色し、読み取りを行わせるようにした。テーマの選択にあたっては、生徒が興味をもてそうなもの、地域差がある程度明瞭に読み取れそうなものを選んだ。
 ウ.「ヒラメキ討論会」dの実施
3学期に「ヒラメキ討論会」と称して、各自が作成し、読み取った成果をもとに意見交流会を行った。その意図や方法については、《資料4》に示す。討論会は6〜7人のグループに分かれ、グループごとに「T:エアコン」「V:自動車」「W:コンビニ」の3項目のどれかを選んで行った。討論会の結果を踏まえて、各自に「まとめ」のレポートを提出させた。なお、レポートの書き方については、教師側が例示をして統一した。

5.今後の課題
a)《分布図を作ろう》の活動に対する生徒の反応
 生徒に書かせたアンケートの結果を《資料5》に示す。分布図作成作業については、興味があ
った(15%)、やや興味があった(64%)を併せて約8割を占める。ヒラメキ討論会については、両者を併せて約6割であった。

│ 分布図作成作業 │  b)今後の課題
《 資料5》│ ア │ イ │ ウ │ エ │ 計 │ 1枚の分布図から地域の特色や地理事象の
│ヒ │ ア │ 1 │ 4 │ │ │ 5 │ 特徴が読み取れ、その理由が推測でき、
│ラ │ イ │ 3 │ 20 │ 1 │ 1 │ 25 │ あらたな探求課題へと発展できうるなら
│メ討│ ウ │ 4 │ 8 │ 2 │ 1 │ 15 │ ば、それだけでちょっとした論文が書け
│キ論│ エ │ │ 2 │ 3 │ 3 │ 8 │ る。それだけに《分布図を作ろう》の取
│ 会│ 計 │ 8 │ 34 │ 6 │ 5 │ 53 │ り組みは、教師側にとって難しい学習指
    集計人数53人 導であることは承知していた。今回の実
│ア:興味があった    イ:やや興味があった│ 践は、形だけが先行し、必ずしも内実が
│ウ:やや興味がなかった エ:興味がなかった │ 伴っていたとはいえないと反省している。
生徒は「普段の授業と違って、新鮮だった」「1枚の地図を見てこんなにいろいろ考えたのは初めてだった」「討論会では、自分では思いつかない発想をもっている人がいて、刺激になった」「討論会ではプレッシャーを感じなかった」と形式への感想を述べていてくれる。「作業をしていて意外なことが多くておもしろかった」「作業をしていて、おおーと驚くことが多々あった」などの感想もあるが、一方で「気が付いたことなどはほとんど同じだった」「どんな方向で考えても説明がつきそうになく、矛盾したところもあった。調べても分かるものじゃないのは、むかつく」などの内実が伴わなかった点をついた感想もあった。
 この活動の成功するか否かは、発見性・探求性のある分布図が作成できるテーマの設定にかかっているといってもよい。テーマ設定から分布図の読み取りまで、かなりの過程がある。その間の見通しは生徒には困難である。教師側が資料収集の可否、結果の良否などを含めて見通しを立て、適切な助言をしていくことが必要である。また、資料の入手法、統計の処理法、さらには読み取りの過程でも継続した指導助言が必要である。
 なお、今回、1枚の図から読み取りをさせたが、必ずしも1枚である必然性はなく、年代の異なる分布図、事象の因果関係に関連する分布図など複数の分布図を用意することで、より効果的な場合も考えられよう。                         (園田平悟)

【参考文献】
 a:戸井田克己「フィールド・ワーク指導のコツと急所」
      (寺本潔ほか『地理の教え方』古今書院 1997)
 b:堀内一雄「体験的学習の実践事例と諸問題 2 中学校」 
    (小峯勇ほか『教師のための体験学習ハンドブック』古今書院 1994)
 c:岩田貢「社会科『教科教育法』における授業改善の試み(その1)−社会科総論での『疑     似ポスターセッション』の実践」(『龍谷紀要』第20巻第1号1998)
   岩田貢「『社会科教育法』における授業改善の試み−地域調査法習得を目的として−」      (1998年社会科教育学全国大会 自由研究発表第23分科会報告要旨1998)
 d:森靖雄「効率的な四段階討論法」(『大学生の学習テクニック』p150〜155 大月書店 1995)

【2】1930年代を経済史の視点で考えた日本史授業の指導
          〜戦間期の東アジアでの相互関係の変化に注目して〜
T.テーマ設定のねらい
 今回の研究集会で発表した内容についての詳しいことは当日配布したレジュメを参照していただきたいが、本稿でも必要に応じてレジュメを引用した。ところで、この数年、日本近代史教育をめぐって活発な議論が展開されている。特に「自由主義史観」とよばれるグループから提唱されたことはかなり強い影響を与えており、マスメディアに登場する機会がたびたびあった。その基本的な考え方は、日本近代史の教育にあたって日本の侵略性を強調することに反対し、日本近代の歩みを肯定的な評価するところにあると考えられる。他方、「自由主義史観」に反対する立場からは、日本の侵略性を強調しようとする教育内容が提唱されたりしている。
 今回の研究集会にあたって発表者が考えたのは、東アジアの経済史研究の進歩にともなって新しい見方が提唱されており、そうしたことを授業内容に導入できないかと考えたのである。従来の近代史教育にあっては、日本の軍事的な侵略があったことを背景にして、日本とアジア諸国との関係が対立的に描かれることが多かった。けれども、最近の研究は対立的な見方ではなく、日本を含む東アジア(東南アジアを含む)が有機的につながりを強調している。そうしたことから、有機的な結びつきの条件を持ちながら、なぜそれは崩壊していったのか、といった内容に注目して教材を編成すれば、別の教材観を描けるのではないかと考えたのである。
 今回のまとめでは、発表者が意図したことがどのように参加者からの意見などを踏まえて、発表に対する評価や今後の課題を明らかにしていきたい。

U.現行指導要領と現行教科書の記述上の特徴(昨年のレジュメより、抄録と一部改変)
(1)指導要領〜日本史B「両大戦と日本」の解説の問題点
 特にアの項目で、経済の変化に注目させることを強調しているが、日本国内の変化が中心であり、日本経済が対外的にどのような位置にあるかについてはあまり関心が払われていない。それは大項目「近代日本の形成とアジア」のウ「国際関係と近代産業の発展」という項が「国際関係の推移」と「近代産業の発展」とを並列的においていて相互の関係には無関心であるのと似ている。
(2)現行の教科書の記述から
 (@)記述する空間的な広がり
 おおむね日本帝国の領域に記述は限られて、それ以外の国・地域との関係はさほど記述されるわけではない。それは日本史という科目の性格を反映しているものと考えられるが、日本の歴史を「国際関係や地理的条件」と関連付けながら、「世界史的視野」にたって構成するという点では十分とはいえないところがある。現行指導要領でも「国際関係や地理的条件」や「世界史的視野」を強調しているが、教科書ではそうなっていない。

 
(A)経済的な内容の記述について
 詳しい記述があるのは「産業革命期」と「昭和恐慌からの離脱」である。前者では資本主義化の契機として、後者は重化学工業化と恐慌離脱にともなう米英との対立と経済のブロック化、さらに軍事に支えられた円ブロック形成の契機として詳しく記述しているのではないかと推測している。「産業革命期」では資本主義化の要素として原料と製品の市場、生産手段の供給元との関係で対外的関連が、「昭和恐慌からの離脱」でも製品市場の関連から記述されている。
 一方、「大戦景気」、それに続く「1920年代の経済」では日本の産業構造の変化に重点が置かれている。大戦中のアジア市場への進出については『山川』(詳説日本史)では一時的な内容として説明されている。また『実教』(日本史B)では経済をめぐる対外関係は貿易構造の中で説明されているが、植民地とその宗主国とは一体のものとして説明されている。
(3)これらから導かれる授業内容
 @対外的な関連が弱いこと
   日本本土を中心として、日本帝国の領域が補足的に取り扱われるため。特に東南アジアと  の関係はほとんど扱われない。
 A中進国であることの日本の強調
   アジアへの侵略性と欧米への従属性の強調。
 B東アジア全体の発展が意識されず、侵略の客体としてしか描かれない。

V.関心の所在(レジュメを抄録、(2)の一部改変)
(1)現在の東アジア(東北・東南アジア両方)の相互関係についての経済史研究から
 @杉原薫『アジア間貿易の形成と構造』ミネルヴァ書房・1996年
 A中村哲「20世紀初―30年代の東アジアと日本資本主義」(『立命館言語文化研究』9巻5・6合併号・1998年3月)
 これらの中で述べられている概略は次の通りである。@.20世紀の東アジアは解体過程に入ったが、なお支配的体制の19世紀的帝国主義体制とその下での資本主義化の二重過程ととらえられる―従来の帝国主義対植民地という対抗軸でとらえると現在の東アジアの資本主義化が説明できない。A.両大戦間のアジア間貿易の急激な発展―世界貿易の中に占める割合も増加する、B.第一次世界大戦後に日本と中国の貿易の地域構成が対欧米からアジア間貿易にシフトし、中国の工業化と競合しつつ日本の産業も高度化する、中国は第一次世界大戦期に工業化が進む―中国資本が中心、日本は米英と協調する路線と軍事力によって中国を自国の経済圏に組み込む路線が競合、30年代には機械・肥料などの重化学工業製品の輸出が増加、C.東南アジアは小農によるゴム・コーヒーなどの生産が増加し、プランテーションは20世紀には衰退(特に大恐慌後に顕著)。大戦後貿易構造に変化―輸出でアメリカ(自動車産業などの20世紀を代表する産業との結びつき)、輸入で日本(安価な消費財)との関係強化、C.第一次大戦後に欧米の影響力が減退していく―アジアのナショナリズムの台頭が欧米主導の貿易体制を変化させる。アジア間貿易を支える力は日本、中国(関税自主権を回復)、海峡植民地(オタワ会議での特恵関税に抵抗)、D.経済のブロック化は日本製品の締め出しを意味せず、貿易は増加傾向―たとえばブロック化にシンガポール商工会議所などが反対
(2)自分の反省をこめて
  @資本主義確立期の特質である中進国的な特徴−生産財をヨーロッパから輸入し、原料を後進国であるアジアから輸入して、消費財をアジアに輸出するという構造−をそのまま1930年代まで継続したかのような授業を行っていたのではないか。
  A単線的ではなく、いろいろな選択の中から1930年代の日本が歩んだ道がとられたのではないかという視点に立てるか。経済関係からすれば無理な道をあえて政治は選択し、自ら崩壊していったが、そうした観点に立てば、より政治史を扱う重要性は増すのではないか。
    ところで、「恐慌からの離脱」の単元で、教科書では綿織物輸出が激増(輸出先は書かれていない)によってイギリスのブロック経済化が進み、一方でアメリカへの依存が強まるとしている。ここで綿織物の輸出先であるイギリス・ブロックとアメリカとの経済的関係はどのようになっているかを考えさせてみるのもとっかかりになる。
  B日本のアジアに於けるプレゼンスをできるだけ近づいた歴史像を描けるか。小さな島国として描いて、20世紀前半の東アジア世界の中では大きな経済力をもった国として描いてこなかったのではないか。

W.単元の組立と留意点
(1)単元の組立(抄録)
   A.大正デモクラシー期の日本と東アジア
(ア)第一次世界大戦と日本
    (イ)ワシントン体制と日本
     @アジアの民族運動
@三・一運動、五・四運動といった民族主義的な運動だけでなく、植民地下における朝鮮社会の変化、中国での資本主義の発達と日本の対応について留意する。Aまた、大戦景気で日本が進出した東南アジアとの貿易の構造についても留意する。特に日本⇔東南アジアという関係だけでなく、東南アジア⇔米国、日本⇔米国との貿易構造にも留意する。

Aワシントン体制の成立     B民本主義の潮流
C「憲政の常道」の成立 幣原外交と田中外交の相違点と共通性についても留意する。
D恐慌の時代〜戦後恐慌・震災恐慌・金融恐慌・金解禁と昭和恐慌
 E大衆文化
   B.「革新」と戦争の時代
    (ア)満州事変と政党内閣の終焉
    (イ)恐慌からの離脱
 @)日本が昭和恐慌から離脱を図る中で重化学工業化が進む一方で、綿織物を中心として輸出を急増させていく。従来は経済のブロック化が進行などが強調されているが日本と対東南アジア、中国、朝鮮・満州、米国との貿易にも注意する。
 (ウ)「革新」派の台頭と政党内閣 の終焉
C.アジア・太平洋戦争
 (ア)日中戦争 @日中戦争    A総動員体制の成立
 (イ)アジア・太平洋戦争
  @第二次世界大戦と三国同盟 問題     A新体制運動と皇民 化政策
  B太平洋戦争



@)日本による軍事占領が東 南アジアの経済基盤である 欧米との貿易を縮小させる一方で、他方日本がその代わりとなれないことに注意する。
(2)経済の国際関係からこれらの教材を組み立てる点でどのような良い点があるか。
   @経済という日常的な関係を通じて相互依存の状況を説明できる。
     国際関係史が「対立と妥協」といった側面に焦点があたるのに対して、少なくともそれ とは違う上述のような側面にも焦点をあてることができる。
   A巨視的にとらえやすい。(別図の試案の相互関連図を参照)
    貿易関係などの図式化を通じて、一定期間の状況を説明しやすい。
 (3)経済史の授業で困難に感じる点
 @経済という抽象化の度合いが高いものを扱う点で、生徒の思考が慣れない場合がある。
 A日本の領域だけにとどまらない空間的な広がりと、それを時系列でおいかける難しさがある。ある意味で地理で学習するのに適した教材かもしれない。さらには世界史も同様に適しているのかもしれない。
 B授業者が使いやすい長期統計がなかなか見つからない。
D.当日の議論と総括
 @概ね好意的に発表は受け入れられた。特に研究会終了後も、発表者と個別にかなり時間をとった意見交換を行った参加者もおられた。特に日本をアジアの一部として巨視的にとらえる見方は今までにないもので、斬新ではないか。また、軍事力による侵略が唯一のオプションではなく、多様なオプションの一つとして採用されたものであることは、1930年代後半からの日本の歩みについて、戦争ではない道を授業で検討することを可能にした。この点については助言者である京都教育大学助教授・水山光春先生からも自由主義史観や小林よしのり氏の『戦争論』が受け入れられる土壌の中で意味があるとの好意的な総括を頂いた。
 A本発表は教材の編成についてであり、授業の方法論についての若干の質問もあったが、それは検討がなされていない。その点では発表に不十分さがあった。
 B課題としては、このような観点に立つ教材が日本史の中で扱えばよいのか、それとも世界史の中で扱えばよいのかが、まだ迷う点である。空間的な広がりの点から世界史で扱ってもよいと思えるが、現行の世界史教科書のもつ弱点〜日本が関係しない外国史としての教材編成である点が特徴である〜がある中では扱いにくいものだろう。東北アジアの有機的な結びつきを重点にした新しい科目も考えられてよいのではないか。 (井上 達朗)













【3】 生徒の主体性を活かした公民科授業の実践           
1 本校の地歴・公民科










上の表を見ていただいておわかりのように、選択科目の設置で80単位の履修で卒業できます。その中で、公民科は必修2単位での倫理・政経(1年生で設置)、文系選択者者は3年生で倫理・政経必修2単位という置き方です。これも、卒業に必要な単位数を指導要領どおりの80単位としていることの結果です。教育課程審議会まとめ(98年6月)では、公民科は現代社会2単位または倫理(2単位)・政経(2単位)の必修とされています。99年3月に告示された学習指導要領でもこのとおりとなっており、2単位の公民科は日常となっていくと思われます。

2 新しい教育の流れ(新学力観の反映)
現行指導要領解説でも以下のように指導方法の工夫はうたわれています。
   倫理:「単に教師による講義に終始することなく、例えば、グループ討議やクラス討論、 感想文や小論文、3分間スピーチ、研究発表を取り入れるなど、様々な指導方法を工夫することが大切である」
政経:「公民科においても、自主的、積極的な学習活動を通じて、自ら考え正しく判断で きる力を育成するという観点から各種資料の利用、観察、見学、調査等の作業的、体験的な学習を導入しつつ、情報活用能力を培おうとしている。……作業的、体験的な学習は生徒の学習に対する興味や関心を高め、構成力や創造力を育成するのに適した方法でもある」
この流れを受けて教育課程審議会答申(1998.7.29)では以下のような指摘がみられます。
(子どもの現状)
   学習が受け身で覚えることは得意だが、自ら調べ判断し、自分なりの考えを持ちそれを表現できる力が十分育っていないこと、一つの正答を求めることはできても、多角的なものの見方や考え方が十分ではないこと……
(社会の変化に柔軟に対応し得る人間の育成)
   これまでの知識を一方的に教え込むことになりがちであった教育から、自ら学び自ら考える教育へと、その基調の転換を図り、子どもたちの個性を生かしながら、学び方や問題解決などの能力の育成を重視する……
さらに、教育課程審議会答申解説では、公民科に関して「課題を設定した学習を重視」することの解説として、「問題解決などの能力の育成」を受けたものであり、生徒自身に実際に課題を追求させることを通して問題解決能力を育成しようとしているといえると説明しています。また、倫理、政経の両科目について「生徒の主体的な学習が一層促されるよう工夫を行う」、「生徒の主体的な学習が一層図れるように工夫を行う」という記述が随所にみられます。
ここで思いますことは、日本社会の歴史的転換の時、いわゆる「右肩下がりの時代」にかつて経験してこなかった事態が生じつつあるという現実です。それは国家の衰退であり、少子高齢化でありましょう。そこでは、個々の生徒に将来を自ら切り拓ける逞しい力が求められます。私たちも教える教育から、「引き出す」教育へ転換せねばなりません。そこでは、教師の楽しいことは、生徒も楽しいということが現実味を帯びてくるでしょう。
 また、高校では新設教科「情報」や「総合的学習」との関連も考えなければなりません。問題解決におけるコンピュータの活用や、自ら学び自ら考えるなどの「生きる力」は全人的な力であることを踏まえ、国際化や情報化をはじめ社会の変化に主体的に対応できる資質や能力を育成することが、公民科のみならず、このような新設教科や学習の目標ですし相互に関連づけながら共通して取り組める領域です。

3 ディベートを取り入れた授業形態
 2単位という公民科の現実のなかで、何が培いたい学力かと考えたときに、教科書を消化するだけでなく、自ら考え解決していくにふさわしい教材として、1年生3学期に公民科のまとめとしてディベートを取り入れた授業を実践しました。以下にその取り組みを紹介します。
 提案と、グループ分け、テーマ設定、肯定・否定の役割分担に1時間、グループは5人を機械的に名列順に分けていきました。この役割分担は自分の意見にかかわらず、論点に賛成ならその立場をとことん演じることを強調しました。次に図書館で2時間を配当して、選んだテーマについて全員配布用のプリントを作成させた。討論の基礎資料であり、この作成と並行して賛成、反対の議論の手順も考えさせました。幾つかのグループでは、討論の台本も作り始めています。約40分の討論を成立させるには、これくらいの準備は必要でしょう。各グループは前時にテーマを決定し報告しているので、それぞれのテーマに即した資料をプリントして読み合わせもさせました。これは、テーマ設定とも関連するのですが『日本の論点 98』(文芸春秋)より引用しました。このような準備に3時間かけ、グループでのディベートが4組で計7時間を配当しました。これを1年生5クラスで3学期に実施したのです。テーマとしては、『倫理』や『政治経済』という教科と関連させつつ、社会的視野ももたせてと考え以下の11のテーマを前掲の『日本の論点』から私が選びテーマのみ提示しました。

日本周辺有事とは何か   (0)  歴史をどう教えるか     (0)
  消費税は何%が妥当か   (0)  規制はどこまで緩和すべきか (0)
  有料化でごみは減るか (9) がんは告知すべきか    (10)
  お受験は役に立つか    (5)  雇用の男女平等は達成できるか(1)
  いじめをなくす方法はあるのか(0) ( )内は選んだグループ数

こうやってみると、選択にかなり偏りがみられました。政治的な大所高所からの話題よりも学校を素材としたものにやはり関心が集まっています。この種の授業では、ややもすると報告者以外はお客さんになりやすいものです。。そこで、報告するグループには1人ずつ報告用紙の提出を、報告者以外は毎時、判定用紙を配りました。判定結果は次時に、数字で示し特徴ある意見を紹介したり、どちらでもないと書いている生徒になぜそうなのかという意見を求めたりして活用しました。ごみ有料化の事例を紹介しますと、有料化賛成派は、@有料化によって国民に意識をもたせる、Aリサイクルをより促進できる、Bゴミを多く出す家も少ない家もあり不公平である点、有料化反対派は、@有料化してもゴミは減らないA不法投棄が増える、B税金をすでに払っており、ゴミに関しては二重に税金を取られることになるという点を主張しました。
 生徒の報告用紙よりいくつか感想を拾ってみましょう。「討論授業は初めてしました。こんな経験もうないように思うから、よかったと思います。討論している時、その問題にのめりこんでいくのが、やっとわかりました。」「はじめは40分も発表できないとか思っていたけど、逆に時間が足りなかった。緊張はしたけど思っていたのと違っておもしろかった。とにかくもっと時間がほしかった。もっと自分の考えを整理してこの“戦い”にのぞめばよかった」「討論授業をやってみて、何か学校って本当はこんなことをしたりするもんなだなぁと思いました」
 こんなことをやってみようと思ってから随分時間がかかりました。でも、授業をやってみると、教師がおもしろいと感じれることは生徒にとってもおもしろいと実感しました。それは、生徒自身にとっても自ら考え、それも自分の主張と相手の主張を重層的にとらえ持論を展開していけ、このような学習が、今後の社会で生きる上で大切な力となると私は考えています。また、特定の分野で自分の意見発表だけでなく賛否両論を調べた生徒は、この分野なら強いんだという一つの自信につながっていったのではないかと思います。

4 おわりに
生徒の選んだテーマは、いずれも人間に対する見方につながっています。ガン告知、ゴミ有料化……そこでは、人間はどこまで信頼できるのかが問われています。また、欲望や不安に対していかに弱いものであるのかということが露呈されてしまいます。「倫理」という教科の観点からいうと「人間としてのあり方、生き方」を、まさに生徒は問われているといえるでしょう。ディベートに対する私の理解不足は否めませんが、ものを考えさせるきっかけとなったことは確かであり、この手法で改良を加えながら個々の生徒のやる気を引き出していきたいと考えています。

資料 @授業で論争に挑んでみようー授業の初めに配ったものです。
    A報告用紙−討論を終えた生徒個人で記録を提出します。
    B判定用紙−討論一回ごとに、聞いている生徒全員に書かせます。
    C3学期末試験の内容の一部です。
      (高田 敏尚)
資料@ 資料略

資料A 資料略

資料B 資料略

資料C

【 】次のA〜Cの文章を読み、(1)〜(10)にあてはまる語句を記号で答えよ。
但し、この問題は選択制であり、自分が授業(ディベート)でテーマとしたものを選ぶことはできない。(B・Cは省略)
A 日本での癌が原因による死亡率は、総死亡の(1)%を超えた。さて、癌にかかった患者に告知すべきかどうかが問題となってくる。告知行為には、(2)公開と自己決定権がその基礎にあるが、何より残された人生を(3)に過ごせたり、(4)に積極的に協力するというメリットがある。また、(5)による「説明と同意」(6)も重要視されてきている。しかし、告知によって(7)で(8)するという人もいる。日本では非告知が一般的とされてきたが、そこには(9)が持っている思いやりの伝統があった。いずれにしても、患者に対する(10)的ケアが重要であることを示しているといえよう。

(あ)プライバシー  (い)有意義  (う)地域  (え)家族  (お)医師 (か)葛藤  (き)インフォームドコンセント  (く)ノーマライゼーション  (け)20  (こ)30  (さ)15  (し)治療  (す)病名  せ)精神(そ)不安  (た)情報  (ち)前向きの心  (つ)ホスピス  (て)無意味(と)絶望  (な)希望

【4】 まとめとして、助言者として来ていただきました京都教育大学助教授の水山光春先生よりの講評をいただきました。
 人はどのようにして学ぶのかというと、現代の教育学では人は自分流にしか学ばないというのが結論です。心理学でも人はあちこちで学んだことを、自分流にしか総合できないというのが結論です。ですから、実際に授業を組み立てていくときには1つの教材に、関心を高めたい部分、表現を豊かにしたい部分、資料として調べさせたい部分などいろんなものをセットにして作っていくのがよいと思われます。学び方という点でも、新しい考え方をとりいれるとしても、それを注入している限り学んだことにはなりません。では、どうするかというと、自分の学びをモニターしていく、つまり自分の学びを第三者的に眺めて、この学び方でよいのか、もっと他の学び方があるのではないか、と自らの「学び」そのものを問い直す、そのような学び方をしていかないと学び方を学んだということにはならないのではないでしょうか。このようなことを、学び方論として考えていっていただきたいと思います。
 視点を与えていくという点については、どの程度まで与えていくか、について臆病になる必要はないと思います。例えていうと、暗闇に出ていくときに誰も懐中電灯は持って行くでしょうし、人によったらそれはヘルメットかもしれないし、ザイルかもしれません。どれを持っていくかはその人の自由ですが、持っていけるものとしてこういうものがありますよということを提示することはむしろ必要と考えています。
 地理で地域調査ということをやっておられましたが、この地域調査をカリキュラムの中にきちんと位置づけようというのが今一番の課題です。これまでから調べ方重視の机上の地域調査はされてきましたが、今言われているのは、もっと教室から外に出ようということと、調べたことのまとめ方です。そういう意味では今日はいい提案をされました。歴史に関しては、日本人としての自覚ということが最近言われています。小林よしのりという人の『戦争論』という本がよく売れているそうですが、たかが漫画といってばかににできません。最近も「朝まで生テレビ」や『現代教育科学』(明治図書)、『世界』(岩波書店)などで取り上げられ愁眉の的となっています。小林氏は最初はいわゆる司馬史観にのっとって、日清・日露戦争は間違っていなかったと肯定していましたが、最近はそれも否定しています。かいつまんで言うと、司馬は日清・日露以後の日本の対外政策を否定的に見ていますが、小林はこれ以後も否定せず、太平洋戦争は必然的な戦争だったと主張しています。こういうことについてじっくり考えていくうえでも、1920〜30年代を子どもと共に考え直していくという事は重要な事だと思います。また、日本史の授業計画を聞いて大きな示唆を得たと思いました。公民に関してはディベートがテーマになっていましたが、ディベートでは論題が重要だと思っています。大学生のディベート大会では、よく「寝るのならベッドがいいか布団がいいか」、ということを必死になって議論することがありますが、これはディベートの技術、方法論に特化してしまっています。けれども我々は高校で社会系の授業としてやるわけですから内容が重要だと思います。そういう意味では『日本の論点』から選んだのはよいし、論題の設定に知恵を使ってほしいと思います。それからディベートの良いところですが、私は話したくても話せない点を指摘しておきたいと思います。普通、授業では意見を言うことを求められますが、ディベートの場合は違い、Aさんの主張に対しB君が反論する場合、反論したくて仕方がないのだけどその時は我慢しなければならないし、反論するにしても与えられた時間内でしか言えないということがあります。こういう言いたくても言えない雰囲気はディベート的な討論でしか味わえません。内容をどう深めていくのかという点では、試験も含めて、私はセルフディベートが一番有効ではないかと考えています。自分の中で賛成側と反対側という2つの視点に立ってディベートさせて、その結果を深めていくことをされたらどうでしょう。また「ディベート甲子園」という全国大会がありますが、その近畿予選に出場してくるのはわずか5校にすぎません。ということは、近畿ではあまり普及しておらず、誰がやっても専門家、トップバッターという位置にあるということですので、ぜひ大勢の先生方が取り組まれたらと思います。
 最後に今日一日、私は、附属高校の先生方のいい授業をしていこうという熱意をひしひしと感じましたし、先生方のチームワークも伝わってきました。こういうものがないと研究はなかなか進みません。お互いが支え合うという関係を作っていくことがこういう研究を進める大きな力ではないかと思っています。その意味で随分学ばせていただきました。