日韓基本条約と日本


  第1条 両締約国間に外交及び領事関係が開設される。第2条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓民国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
  第3条 大韓民国政府は、国連総会決議第195号に明らかに示されているとおりの朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される。


 これが、1965年に締結された日韓基本条約の主な内容です。全部で7条からなるもので、あとは国連憲章を両国関係の指針とすることや、通商交渉や民間航空運送に関する交渉、批准書の交換といった条文が続きます。
日本と最も近い外国である韓国との国交回復に戦後20年もかかったということに、かつての植民地という影を感じますが、一方の当事国である朝鮮民主主義人民共和国との国交回復がいまだになされていないという現実に胸が痛みます。
 実は、そのことはこの条約と深く関わることなのです。1961年にベルリンの壁建造、1962年にキューバ危機、この条約が結ばれた1965年はアメリカが北ベトナムを爆撃するという東西冷戦の激しい頃でした。第3条での国連総会決議とは、「大韓民国政府が朝鮮における唯一の政府であることを宣言する」とするというもので、結果として日本はこの条約にもあるとおり、朝鮮民主主義人民共和国の存在を否認しました。その状態は今も続いています。これがこの条約のもつ第一の問題点です。
 第二の問題点は、第2条の「もはや無効」という言葉です。これはかつての韓国併合条約を無効と明記することによって、かつての日本の支配は合法的であったかのようなニュアンスを与え、日本の責任をあいまいにしているということです。この条約では明記されていませんが、条約調印と同時に日本は無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの合計8億ドルの経済援助を韓国に与えます。当時、韓国では賠償と受け取り、対日請求権を放棄しました。そのことによって、戦争による被害者からの請求を日本政府は「解決ずみ」といっているのです。
 では、この条約はどのような意味があったのかというと、1つは日本の経済圏の拡大です。この条約以降、日本企業は韓国に進出していきました。
また、アメリカの意向も無視できません。いつまでも東アジアで日本と韓国が反目しているのはアメリカの戦略にとって得策ではないという判断です。過去の清算をあいまいにする条約ですから韓日両国の市民による反対運動も起こりましたが、日本では強行採決をし、当時の自民・民社両党のみで可決成立させました。
 現在は、冷戦も終結しましたが東アジアではなかなか進展しませんでした。それが一気に加速させたのが金大中大統領です。2000年の韓国・北朝鮮両首脳の握手を覚えている人も多いでしょう。2000年12月に掲載された朝日新聞社と韓国の東亜日報社の世論調査を紹介しましょう。ここでは、「朝鮮半島は統一されるか」という項目と、「日韓双方の世代別好感度」をとりあげました。分断されている国の統一への期待が高まっていることと、若い世代ほど好感度が高まっていることがわかるでしょう。21世紀の北朝鮮も含めた朝鮮半島と日本との関係改善はこの若いあなた方の世代が切りひらいていくことでしょう。
 なお、ここまでの文章は最近出版された『もっと知ろう朝鮮』(岩波ジュニア新書 尹健次
(ユン コォンチャ)著)を参考にしています。
皆さんも、事前にこのような書物を読んで歴史や現実を知っておくことを勧めます。