三・一独立運動とタプゴル公園

 ソウルの地図をみると、中心部にタプゴル公園という名前をみつけることができるでしょう。鍾路(チョンノ)と呼ばれる大通りに面した一角です。この公園は、1467年に造られた圓覚寺の跡で、当時の十層石塔が残っているので、パゴダ公園とも呼ばれてきました。正式には塔洞(タプゴル)公園といいます。
 この公園は、韓国の人たちにとっては大きな意味をもっている場所なのです。韓国が日本の植民地となっていた1919年3月1日に、この公園に多くの独立運動家が集まり独立宣言書を読み上げたのです。この日に、集会があると聞いて集まってきたのは、市民・学生・労働者・農民など数千人にのぼると言われています。人々は手に韓国の国旗であった太極旗をふり、「大韓民国万歳」(テハントンリプマンセ)と口々に叫びました。世界に目をやると、1917年のロシア革命、1918年に発表されたウイルソン大統領(米)の「民族自決主義」などの影響を大きく受けた民族独立運動でした。(中国でも1919年に五・四運動が起こります)
 この運動は、またたく間に全国に波及し、3月1日から5月末までで、独立運動集会が1542回、参加者は202万人にのぼりました。当然、支配者である日本政府は弾圧にのりだします。日本の官憲との衝突で死者7509人、負傷者は15961人、逮捕者は46948人という記録が残っています。

 この公園には、三・一運動を記念する銅板のレリーフが10枚造られています。(写真右)
 レリーフには、独立宣言文を読み上げている様子、15歳で独立運動の先頭に立ち拷問をうけ17歳で獄死した柳寛順(ユガンスン)の活躍の様子などが描かれています。彼女は「朝鮮のジャンヌ・ダルク」とも呼ばれ、出身校の梨花学堂(現在の梨花女子大)に記念室が作られています。
 写真下は、三・一運動の際に弾圧を受けた堤岩里(チェアムリ)事件の様子です。このレリーフには「1919年4月15日午後、日本軍一個小隊が水原・堤岩里にやってきてキリスト教と天道教の信者たちを教会堂内に追いつめ、銃を乱射しながら火を放った。炎を逃れ出てきた婦人たちを銃で無惨に殺し、窓から送り出された幼児までも殺した」とハングルで書かれています。この時の犠牲者は23人、近辺で起こった集会の首謀者探しが目的でした。
 じっと正視するのが辛いと感じることもあるでしょう。ドイツのヴァイツゼッガー大統領が敗戦40周年記念日の演説で「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」と述べました。私たち自身も学ぶべき視点です。
  参考文献:「きみたちと朝鮮」ユン コォンチャ(岩波ジュニア新書)       「観光コースでない韓国」小林慶二(高文研)